王塚古墳(おうづかこふん)は福岡県に所在する6世紀中ごろの前方後円墳である。わが国で最も優れた装飾壁画がある。
「戸塚王塚古墳」とも言われる。
「戸塚王塚古墳」とも言われる。
遠賀川の上流である穂並川の右側台地上に位置する、本墳は全長82mの3段築成で埴輪が巡る。昭和初期の土取り工事で、後円部の主体部が発見された。初期の横穴式石室で、複式構造である。後室には石屋形がある。2体並葬の棺床を作り、その前面に石製の燈明台が左右にとりつく。
古墳は盗掘を受けていなかった。
1934年の工事で半分以上が破壊されている。福岡県による調査が行われた。
後室は奥壁と側壁の下部を花崗岩の大石で築き、その上を割石で積み上げ、上部を天井石で覆って造られている。正面には2体用の石枕がある石屋形が据えられる。
壁画保存のため春(4月)と秋(10月)の年に2回のみ公開される。
古墳は盗掘を受けていなかった。
1934年の工事で半分以上が破壊されている。福岡県による調査が行われた。
後室は奥壁と側壁の下部を花崗岩の大石で築き、その上を割石で積み上げ、上部を天井石で覆って造られている。正面には2体用の石枕がある石屋形が据えられる。
壁画保存のため春(4月)と秋(10月)の年に2回のみ公開される。
鉱物顔料により赤、黄、緑、黒、白の5つの色で彩られた壁画が石室内全面に施されており「装飾古墳の王者」と呼ばれる。絵具に粘土が使用されている。石室内の全面に動物、靫、盾などの具象文様と三角形、蕨手、円などの幾何学文様が描かれる。奥の左右の仕切り石に赤毛、黒毛の騎馬像が向い合せに描かれる。馬の体には面繋、手綱、尻繋、鞍が付けられる。羨道は赤一色に塗られ、前室の奥の左右の仕切り石に赤毛、黒毛の騎馬像が向い合せに描かれる。馬の体には面繋、手綱、尻繋、鞍が付けられる。
騎馬像、同心円文、三角文、珠文、双脚輪状文、わらび手文、靫、盾?。
1969年(昭和44年)に「装飾古墳保存対策研究会」が発足した。考古学、建築学、土木工学、保存科学、気象学など16名の学術研究者により調査研究が行われた。1982年(昭和57年)には、小林行雄京都大学名誉教授を委員長とする「王塚古墳保存調査委員会」が発足した。
- 周濠があることが確認された。
- 1937年6月15日(昭和12.06.15) 史跡名勝天然記念物
- 1952年3月29日(昭和27.03.29) 特別史跡?
- 名称:王塚古墳
- 形式:前方後円墳
- 被葬者: 不明(ヤマト王権とつながりのある在地の大豪族)
- 築造時期:6世紀中頃
- 全長:86m
- 前方部幅:60m
- 高さ:9.5m
- 所在地:〒820-0603 福岡県嘉穂郡桂川町大字寿命311番地
- 交通: JR筑豊本線「桂川駅」より徒歩約8分
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