跡部遺跡(あとべいせき)は、大阪府八尾市にある弥生時代前期から古墳時代前期、中世までの複合遺跡である。
跡部遺跡は八尾市北部に位置し、北に長瀬川、南に平野川があり、旧大和川の河川に囲まれた地域である。弥生時代前期から古墳時代前期、古代・中世に至る遺構・遺物が検出されている。遺跡の西部地域は遺構の密度が薄い、遺跡の中心は東部地域である。
八尾市内では1921年(大正10年)、恩地垣内山で流水紋銅鐸が発見されている。鐸全高44.5cm、鈕高12cm。東京国立博物館にある。近くの都塚山から1949年、袈裟欅紋銅鐸が発見された。鐸全高39cm、鈕高10cm。
平成5年に実施した竜華小学校体育館敷地及び周辺の発掘調査では、弥生時代の集落を幾重かに取り囲む溝が検出された。
日本書紀にみえる阿都(あと)地名に通じることから、物部氏の本拠の一角であったと推定されている。6世紀の遺構、遺物が検出されている。
八尾市内では1921年(大正10年)、恩地垣内山で流水紋銅鐸が発見されている。鐸全高44.5cm、鈕高12cm。東京国立博物館にある。近くの都塚山から1949年、袈裟欅紋銅鐸が発見された。鐸全高39cm、鈕高10cm。
平成5年に実施した竜華小学校体育館敷地及び周辺の発掘調査では、弥生時代の集落を幾重かに取り囲む溝が検出された。
日本書紀にみえる阿都(あと)地名に通じることから、物部氏の本拠の一角であったと推定されている。6世紀の遺構、遺物が検出されている。
- 銅鐸
- 平成元年に春日町一丁目の地下より流水紋銅鐸が1.4m四方の穴に埋納された状態で発見された。低湿地でみつかった全国で初めての例で、土坑のなかに丁寧に埋められたことが発掘調査で判明した。八尾市指定文化財。銅鐸内の土は周囲の土壌とは異なることが判明した。
- 直口壺破片 – 弥生時代
- 小型壺
- 加飾壺
- 広口壺
- 長胴壺
- 高坏
- 鼓型器台
- 小型鉢
- 大型鉢
- 甕
- 木製品 – ほぞ穴付き
- 八尾市立歴史民俗資料館?
- 「銅鐸(八尾市指定文化財)(跡部遺跡出土)」八尾市立歴史民俗資料館
- 大阪府教育委員会(2002)『跡部遺跡』大阪府埋蔵文化財調査報告2001-6
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