縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

不弥国(ふみこく)は、『魏志倭人伝』に記載された倭国の国のひとつである。

概要

魏志倭人伝では奴國から不弥国まで「東行100里」を要すると書かれている。距離や方角は正しいとは限らないが、奴國から近い場所にあったと考えられる。

比定場所

不弥国の比定場所は複数があり、定まっていない。九州の中にあると想定されていることは、邪馬台国九州説と近畿説とで異ならないが、比定地には違いがある。
No比定地提唱者文献
1宇美町新井白石古史通或問
2宇美町内藤湖南卑彌呼考
3宇美町三宅米吉
4宇美町和歌森太郎
5太宰府榎一雄
6太宰府白鳥庫吉
7穂波菅政友漢籍倭人考
8穂波久米邦武
9穂波山尾幸久
10穂波鳥越憲三郎倭人・倭国伝全釈
11志賀島田中卓邪馬台国と稲荷山刀銘
12宗像郡津屋崎笠井新也

宇美説

宇美説は「フミ」と「ウミ」の呼称が類似していることが理由であるが、有力な集落遺跡や王墓は少ないが、宇美町の光正寺古墳?は王墓の可能性があるが、盗掘が激しいため、位置づけが難しい。しかし高坏、管玉、内光花文鏡、土師器、鉄器、壺が出土している。

穂波説

穂波説は遠賀川中流域の穂波郡穂波郷(現飯塚市)である。江辻遺跡?は福岡県糟屋郡粕屋町にある縄文時代から平安時代までの複合遺跡である。大型掘立柱建物が見つかっており、さらに銅剣、銅矛、鉄剣、銅弋が出土している。
古賀市の馬渡・束ヶ浦遺跡?からは初期の青銅製武器の3点セットとして銅剣、銅矛、銅弋が出土している。旧粕屋郡全体の地域リーダーとの説がある(西谷正(2009))。また香住ヶ古墳?からは三角縁神獣鏡が出土している。二神二獣鏡の優れた作品とされる。本作と同伴の鏡は奈良県桜井市からも出ている。王塚古墳は戸塚王塚古墳とも言われるが、粕谷地域にある前方後円墳である。

参考文献

  1. 鳥越慶三郎(2020)『倭人倭国伝全釈』KADOKAWA
  2. 石原道博編訳(1951)『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝』岩波書店
  3. 西谷正(2009)『魏志倭人伝の考古学』学生社
  4. 新井白石(1906)「古史通或問」『新井白石全集 第三巻』国書刊行会
  5. 菅政友(1907)「漢籍倭人考」『菅政友全集』国書刊行会

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

フリーエリア

よろしければランキング投票してください
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

フリーエリア

PVアクセスランキング にほんブログ村

メンバーのみ編集できます