縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

律令制(りつりょうせい)は古代日本の国家制度・統治制度である。

概要

奈良時代から平安時代に施行された律令法に基づく国家体制である。
律令制の「律」とは社会規範として、刑法に相当する。「令」は行政法・民法・商法に相当する。
古代日本に確立した中央集権的政治制度であり、中国の隋・唐の法体系を取り入れつつ、マイナーチェンジして成立した。天武天皇および持統天皇の時代に整備された。
律令制の主な柱は、公地制、公民制(あわせて「公地公民」)、官僚制である。

目的

律令制の目的は、国家的統一を図り、国家機構の整備と強化、そして税制の確立である。また、仏教の普及や、中国文化の導入につながった。

制定法

668年制定の近江令が最初の規定とされる。689年に飛鳥浄御原令が完成され、次に701年の大宝律令?で律令制が確立した。
大宝律令に続く律令として757年(天平宝字元年)に施行された基本法が養老律令である。
養老律令は律十巻・令十巻から成る。
律令制では、中央政府が法を制定し、それを地方に伝え、地方で法を執行するという仕組みである。全国的な土地調査や戸籍制度の整備などが行われ、中央政府による統制が進められた。

中央政府の構成

日本の律令規定では国政(政務)を太政官がとることとされる。太政官は司法・行政・立法を担う。唐名から尚書省、都省とも呼ばれる。太政官の構成は上席順に太政大臣(則闕の官で適任者がいなければ未設置)、左大臣、右大臣、大納言とそれを補佐する少納言、左弁官局、右弁官局で構成される。太政官で審議された決定事項は天皇の裁可(最終承認)を経て正式決定となり、「太政官符」として関連する役所(八省)などに下達された。太政官は中務省、式部省、民部省、治部省、兵部省、刑部省、大蔵省、宮内省の八省を統括する最高機関である。

中国の律令制との違い

制定時期

日本の律令制は、681年頃(7世紀後半:近江令)から757年(8世紀:養老律令)にかけて整備されたのに対し、中国の律令制は、隋代に整備さた。「開皇律令」は隋の文帝が581年に制定した律令である。隋の開皇律令の律は国家体制の維持を目的とし、戸籍や婚姻などの規定を含んでいた

法典の種類

日本の律令制は、律と令という2つの法典が制定されたが、中国の律令制は、唐律続、唐令続、唐六典、大宝律令など、複数の法典が制定されている。

法の執行機関

日本の律令制では、法の執行機関は中央官僚によって行われたが、中国の律令制では、地方官や吏員などが法の執行を担った。

官僚制度

日本の律令制では、律令国家と呼ばれる中央集権的な官僚機構が整備され、職掌や階級などが明確に定められている。中国の律令制にも官僚制度は存在するが、職掌や階級の定義は日本ほど明確ではなかった。

参照基準

日本の律令制は、中国の律令制を参考にして整備されたのに対し、中国の律令制は、前代の北朝や南朝の制度を基に整備されたと考えられている。

参考文献

  • 井上光貞、佐伯有清、川副武胤(2020)『日本書紀』中央公論新社
  • 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店
  • 沖森卓也、佐藤信訳(2019)『藤氏家伝』筑摩書房

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