縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

倭国(わこく)は古代において中国や朝鮮が日本を呼び表す名称であった。単に「倭」ともいう。

概要

「倭」とは「柔順な」という意味とされる。根拠は『説文?』八上に「順皃なり」(したがう形なり)と書かれる(張莉(2013))。
また段玉裁の『説文解字注』の「倭」項に「倭與委義略同、委随也、 随從也」
(倭と委は義略を同じくす。 委は随なり、随は従ふなり。) と書かれていることである(張莉(2013))。委と「倭」は同じ意味であり、委の意味は「隋」である。「隋」は従うという意味である。すなわち「柔順な」を意味する。

後漢書 倭伝

後漢書倭伝』(巻85 東夷列伝の中の倭伝)には
倭在韓東南大海中 依山㠀為居 凡百餘國
と記載される。
(大意)倭は韓の東南大海の先に位置する。山島に依り居をなす。約百余国で構成される。

魏志倭人伝

魏志倭人伝』には「舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國」と記載される。
(大意)もとは100余国あったが、漢代に天子に拝謁したものがいた。現在は30ヵ国が使者を派遣している。

倭国の入れ墨

羽子田古墳群の形象埴輪/人物
岩橋千塚古墳群(和歌山市)盾持人埴輪
魏志倭人伝に「男子はみなクジラのような顔で入れ墨を入れている」(「男子無大小 皆黥面文身」)と書かれている。「大小となく」の解釈は年齢説と身分説とがある。
  • 年齢説は「大人も子供も(入れ墨する)」という意味とする。
  • 身分説は吉岡郁夫(2021)に代表され、身分に関わらず入れ墨をしているという説である。
一般的には世界各地の文身習俗では、通過儀礼で大人になった証として入れ墨を入れるという。埴輪の男子は線刻がみられる事例がある。これは入れ墨とみられる。
倭人伝には「男子は」と書かれるが、女子は入れ墨をしたかどうか書かれていない。しかし女性の埴輪には顔に色ぬりをしたものがある。線刻の埴輪はなさそうである。男子とは異なる。
上野塚廻り古墳群出土埴輪
筆者の解釈であるが、女子は入れ墨はなく、化粧のための色塗り(ペインティング)と理解される。スウェーデンとハンガリーの研究者は、ボディペイントには昆虫を遠ざけ、病気から人々を守る効果があることを証明している(Gábor Horváthet al(2018))。ペインティングには実用的意味があったとみられる。上野塚廻り古墳群出土埴輪は王位継承儀礼での巫女の顔面彩色である(千田(2014))。

参考文献

  1. 吉岡 郁夫(2021)『いれずみ(文身)の人類学』雄山閣
  2. 張莉(2013)『「倭」・「倭人」について』、「立命館白川静記念東洋文字文化研究所紀要」第16号,pp.32-52
  3. Gábor Horváth, Ádám Pereszlényi, Susanne Åkesson and György Kriska(2019)” Striped bodypainting protects against horseflies”Royal Society .open sci.6, 181325
  4. 千田稔(2014)「入れ墨が示す海洋民たちの記号」『卑弥呼の招待』,KADOKAWA,pp.196-209

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