発掘調査は一次(1959年(昭和34年)12月〜1960年1月)、二次(1960年(昭和36年)3月〜4月)、三次(1961年3月)に分けて行われた。
墳丘は三段築成である。各段の縁辺に円筒埴輪が配置され。葺石がみられる。後円部中央に墳丘主軸に直交して割石を小口積みとした竪穴式石室がみられる。天井部を合唱形となる副室がみられる。石室は合計2ヶ所である。
合計106点の
円筒埴輪が垣根のように密に並んだ埴輪列が出土した。四隅や要所に大型の
円筒埴輪と
高坏形埴輪?を上にのせた円筒埴輪が配置されていた。
円筒埴輪のみが出土し、形象埴輪は出土していない。円筒埴輪は、胴部に
特殊器台の文様の名残りである三角形のすかし穴が開いているなど古い特徴をもつ。近年の範囲確認調査で墳丘の裾が相当に埋没していることが確認された。