伊都国は福岡県糸島市の
三雲・井原遺跡や
平原遺跡あたりが有力である。
糸島平野に伊都国があったとされるのが通説とされる。
三雲・井原遺跡が伊都国の王墓であったとされる。弥生時代の拠点集落である。なお
平原遺跡説も王墓とされる。長い時間の間に移動したことが考えられる。
この比定が正しければ、末盧國から伊都国には現在の地理で東または東北方向に向かうことになる。つまり魏志倭人伝は方角を間違えている。鳥越氏は「当時の漢族は地理感を間違えていた。つまり日本列島が中国大陸の東方海上で南北に連なってみていたことにある」(鳥越憲三郎(2020))と書かれる。