当初は、
愛宕山古墳?を発掘する予定であったが、この古墳が完璧な形なので、
掘り起こすのはもったいないということとなり、急遽、
稲荷山古墳に変更された。
昭和43年の発掘調で墳頂部を掘りおこすと、2基の埋葬施設が発見された。
鏡や装身具、馬具、武器等、豪華な副葬品とともに「金錯銘鉄剣」が発見された。
後日となる、昭和53年(1978)5月中旬、サビ防止のために鉄剣が奈良の
元興寺文化財研究所?に送られた。
同年7月27日、保存処理を専門とする同研究所女子研究員の大崎敏子氏が、サビの中に
わずかに輝く金色の光を発見した。
同年9月11日、工業用のレントゲン装置を使って、鉄剣にエックス線をあてて写真撮影をすると、
鉄剣の両面から115文字が浮かび上がった。同年9月12日、文字の写ったフィルムを
奈良文化財研究所に送り、
銘文の解読が行われた。
解読が終了したあと9月19日に埼玉県教育委員会による記者発表が行われた。
修復の結果、金象嵌の115文字が見えた。剣身の中央に切っ先から柄つかに向かって、
表面57文字、裏面58文字の計115文字の銘文が刻まれている。
文字の発見後は、錆を丹念に落とす作業が続けられ、金文字が甦った。現在、現物はチッソガスで
密封したケースに納められ、資料館に展示されている。