遠賀川の上流である穂並川の右側台地上に位置する、本墳は全長82mの3段築成で埴輪が巡る。昭和初期の土取り工事で、後円部の主体部が発見された。初期の
横穴式石室で、複式構造である。後室には石屋形がある。2体並葬の棺床を作り、その前面に石製の燈明台が左右にとりつく。
古墳は盗掘を受けていなかった。
1934年の工事で半分以上が破壊されている。福岡県による調査が行われた。
後室は奥壁と側壁の下部を花崗岩の大石で築き、その上を割石で積み上げ、上部を天井石で覆って造られている。正面には2体用の石枕がある石屋形が据えられる。
壁画保存のため春(4月)と秋(10月)の年に2回のみ公開される。