古代史の散歩道 - 挟軾
挟軾(きょうしょく)は脇に置いてそれにもたれかかり、体を休めるために用具である。

概要

古事記や日本書紀では「几」(おしまずき)、奈良時代に「挟軾」(きょうしょく)とよぶ。平安中期からは「脇息」という。

日本書紀

  • (原文)雄略天皇九年夏五月条
是時、韓子宿禰、從後而射大磐宿禰鞍几後橋。
  • (訳)
是時韓子宿禰は従後に従い、大磐宿禰の鞍几後橋を射った。
  • (意味)
鞍几後橋は鞍の後ろの部分の高くせり上がっている部分を指す。
韓子宿禰は蘇我韓子で蘇我満智の子で大磐の射返しで落馬して死亡する。
蘇我韓子の孫は蘇我馬子である。