東側は高さ20mほどの段丘崖に区切られる。「甲を着た古墳人」が出土した
金井東裏遺跡?の南に隣接する遺跡である。6世紀初頭の榛名山噴火で発生した火砕流で被災した古墳人の歯及び馬が出土した。榛名山から北東の山麓に位置し、噴火口から8kmの位置にある。
金井下新田遺跡の集落の開始時期は5世紀中頃で、6世紀初頭の榛名山の噴火で終わる。
発見された馬は骨格だけでなく馬体の輪郭が残り、どのような馬が集落内にいたのかを具体的に明らかにできるものである。古墳時代の馬歯骨の発見例はあるが、全身骨格がわかる例は極めて少なく、大阪府四条畷市蔀屋北遺跡SK940や、長野県飯田市宮垣外遺跡SK10の埋葬例などに限られていた。遺跡出土の全身骨格及び渋川市白井遺跡群の馬蹄跡の統計的研究から、木曽馬に近い中形馬であったとされる。