九博は「日本文化の形成をアジア史的観点からとらえる」という基本理念をもつ歴史系博物館を目指している。
太宰府神社(天満宮)の神官や地元の戸長を中心に、太宰府における博物館誘致運動の先駆とも言える博覧会が1873年(明治6年)に開催された。太宰府博覧会から「鎮西博物館」という施設計画が立案され、内務省より設置が許可された。建設費等への募金活動も進められたが、おりしも日清戦争の勃発により計画は凍結された。
1899年?(明治32年)、
岡倉天心は古来外交の要衝であった九州の歴史的特色を指摘し、その古器物は単に美術品としてだけでなく歴史研究上も貴重として、九州博物館の必要性を説く。
1963年?(昭和43年)、官民一体の「国立九州博物館設置期成会」が発足する。
1971年?(昭和46年)、太宰府町に博物館建設用地(約17万平方メートル(うち、
太宰府天満宮?が14万平方メートルを寄贈))を確保する。2005年(平成17年)10月、九州国立博物館は開館する。国立博物館が新設されたのは、
1897年?設立の
京都国立博物館開設以来、実に108年ぶりであった。