概要
『扶桑略記』によれば、522年(継体16年)に渡来した司馬達止が造った高市郡坂田原の草堂に由来するという。鞍作氏の氏寺で、飛鳥を代表する尼寺とされる。『日本書紀』年(686年(朱鳥元年)に天武天皇の為の無遮大会を坂田寺で行ったこと、坂田寺の信勝尼が737年(天平9年)に経典を内裏に進上したことが記される。
平安時代には金剛寺とも称し、多武峯の末寺とされていた。伽藍は10世紀後半に土砂崩れにあい、崩壊し、中世以降は衰亡した。
発掘調査
1986年の発掘調査で発見された土坑SK160から、合計291枚の銭貨、金箔・琥珀玉・ガラス玉などの玉類、銅鈴・佐波理鋺などの金属製品、土師器・須恵器・灰釉陶器などの土器類が発掘された。SK160出土銭の構成は、和同開珎約210枚、萬年通宝約30枚、神功開宝約50枚、開元通宝1枚、不明数枚からなる。
県道に下水道管を埋設する工事に先立って行った調査で基壇建物と回廊が見つかった。基壇部分は凝灰岩の切石を使用したもので羽目石が立った状態で出土しており、上面に葛石が造営された当時の姿で確認された。