立命館大学の日本史学専攻は「在野史学」の騎手たる地位を築きあげた。1970年代以降は、山尾幸久(古代史)、三浦圭一(中世史)、衣笠安喜(近世史)などの研究者がこの学風を継承・発展させた。山尾幸久は研究に厳しい教授として知られていた。山尾先生の演習形式の授業を取る大学院生は非常に少なかったという。履修登録期間終了後に、考古学の大学院生が山尾先生の授業をとらなかったことを知った
和田晴吾教授(当時)は、「なんで取らへんかったんや!」と怒りをあらわにされたという。山尾幸久の論考は外交関係に関わる研究が多く、これは考古学を研究するものにとって、特に鉄器を研究する人にとって重要な研究となっている。