天武天皇?の第3皇子で、母は
天智天皇?の娘の
新田部皇女?である。子に大炊(淳仁天皇)、
船王?、
三原王?(御原王)、
池田王?、
貞代王?がいる。
勅によって
太安万侶とともに『日本書紀』の編集にあたった。
元正天皇?、
聖武天皇に皇親として仕え、奈良時代前半の皇親政治の中心として活動した。
『続日本紀』養老4年(720年)5月21日の条に「一品の舎人親王は、勅をうけて 日本紀の編纂に従っていたが、 この度それが完成し、記三十巻と系図一巻を奏上した」と記述される。『
日本書紀』の完成を示す。
藤原不比等?の没後は知太政官事として政務に携わり、729年(天平1年)に起きた長屋王の変のときは新田部親王らと王を窮問した結果、王は自尽した。長屋王は舎人親王の甥にあたる。
舎人親王は天平7年11月14日(735年12月6日)に没した。第7子が淳仁天皇になると崇道尽敬皇帝の称号を贈られた。