邪馬台国の所在地に関しては古くから論争がある。日本古代国家の起源や大和政権の起源を考えるうえで、その位置は重要である。「魏志倭人伝」の行程の距離と方角をそのまま読むと、海の中になってしまう。そこで所在地候補には多数が挙げられているが、有力とされる候補地は九州説と畿内説とがある。両説の得失を比較してみる。
比較項目 | 畿内説 | 九州説 | 備考 |
距離 | 有利 | 不利 | 放射式説あり |
方位 | 不利 | 有利 | 伊都国の南とされる |
遺跡 | 有利(纒向遺跡) | 不利(該当候補なし) | |
古墳 | 有利(箸墓古墳) | 不利(該当候補なし) | |
規模 | 有利 | 不利 | 邪馬台国7万余戸 |
考古学的証拠 | 有利 | 不利 | |
全体的には考古学的証拠から畿内説が有利と考える。九州説では、邪馬台国の候補となる遺跡や古墳を挙げることができない。
大塚初重は「邪馬台国九州説の一番の弱点は、これといった卑弥呼の墓の候補は九州内で見当たらないことであろう」と述べる(大塚初重(2021),p.103)。かっては卑弥呼の墓の候補として平原王墓(
平原遺跡)を考える研究者がいたが、現在はいないようである。
九州説に有利な考古学的根拠は鉄器の出土数が大和を圧倒しているということであるが、これについて大塚初重は3点の検討課題を挙げる。第一に九州では緊急の墳墓調査が日本海沿岸で行われているが、大和では墳丘墓の発掘があまり行われていないこと、第二に土壌の性質である。シルト状の粘土質の土壌と、北部九州のような花崗岩地質の土壌とでは鉄器の遺物の保存が全く異なる(大塚初重(2021),p.94-96)。第三に大阪湾湾岸の遺跡からは鉄の遺物の出土がかなり多い。鉄が残りにくいという土壌を考慮すると、鉄器の出土数で邪馬台国近畿説は成り立たないという主張は慎重にする必要がある。
纏向遺跡には列島の各地から人とモノが集まっている。九州の土器はほとんどない。土器の集中と移動は邪馬台国と関係があるとみてよい。邪馬台国の時代は九州より畿内が中心となっている。纏向で発見された宮殿と思われる遺構が庄内3式期のものとすれば、卑弥呼の時代と一致する。方位を一致させている建物の計画性や柵に注目される(大塚初重(2021),p.173-176)。纏向に土器の移動と集中がみられることは邪馬台国の条件を備えている。