概要
字の名を取って「渋谷向山古墳」と呼ばれる宮内庁は「景行天皇陵」とする。実際の被葬者は不明である。山麓の傾斜が変わる場所に立地し、周濠を巡らせ、前方部を奈良盆地に向ける。
これまでに出土した土器から4世紀後半(古墳時代前期後半)とされている。前方後円墳、円墳、方墳、各1基の陪塚を持ち、4世紀の古墳としては最大規模の古墳である。
調査
2016年2月26日、日本考古学協会など考古学・歴史学関係の団体に所属する研究者らが立ち入り調査し、墳丘や周濠を観察した(産経新聞2016/2/27)。
遺物
遺物は埴輪や土器などのみである。宮内庁書陵部の調査による円筒埴輪(普通円筒埴輪・鰭付円筒埴輪・朝顔形埴輪)・形象埴輪(蓋形埴輪・盾形埴輪)である。伝世品として関西大学が所藏する石枕があり、1864年の出土とされる。碧玉製で、重さ24キログラム、外縁・側面に線刻がある。関西大学博物館に所蔵される。渋谷村出土とされる三角縁波文帯神獣鏡は京都国立博物館に所蔵される。
景行大王稜
「景行天皇山辺道上陵(けいこうてんのうやまべのみちのへのみささぎ)」として宮内庁が管理する(宮内省諸陵寮編(1934))。『日本書紀』に九州を巡幸して熊曾・土蜘蛛を討伐したとあるが、これらの記事は『古事記』には確認できない。