概要
山陰自動車道の建設に伴い発見された。鳥取市青谷町を流れる勝部川下流の平地にある遺跡である。青谷平野のほぼ中央に位置する。弥生時代の掘立柱の建物跡、火を焚いた跡、貝塚などが見つかり、玉作りや木器製作など、様々なものづくりに関係する鉄製や石製の道具や、中国大陸や朝鮮半島で製作された銅製品が出土した。周辺の溝から容器や農具、多量の木製品、漁労用の骨角製品、人骨などの遺物が出土した。
地域交流
土器は北陸・近畿・山陽地方の土器が出土しており、石材は青谷周辺では採れないヒスイやサヌカイトなどが使われている。400点をこえる鉄製品は、中国・朝鮮半島・北部九州の特徴がみられる。古代中国の鏡や「貸泉」が出土する。
人骨
集落中心域の東側から約5,300点、人数にして100人分以上の人骨が出土した。110点、少なくとも10人分に相当する人骨に殺傷痕があり、何らかの争いの痕跡である。出土した人骨の解析で、32体の人骨のミトコンドリアDNAに29系統のグループがあったことが判明した。各地からさまざまな人が流入したと見られる。
木材年代
試料1は紀元前57年、試料2は紀元前105年であった。試料1は弥生時代中期後葉である。
第20次調査
第20次調査は2022年度から3カ年計画で進んでいる。2000年に人骨が大量に出土した「SD38」と呼ばれる溝に近接する225平方メートルの区画である。「とっとり弥生の王国調査整備活用委員会」の調査研究部会(座長・木下尚子熊本大学名誉教授)に予備調査で人骨の一部が出土したことが報告され、来年度の本格的な発掘調査の方針を確認した。下層の弥生時代後期の地層に人骨が眠っている可能性があるとされる。
時期
弥生時代前期後半に集落が形成されし、中期後半に拡大し、後期まで続くが、古墳時代前期初頭に消滅する。