概要
エドワード・シルベスター・モースは、アメリカ人の動物学者で貝の研究をしていました。1877年(明治10年)に腕足類の研究のため来日し、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝層を発見した。政府の許可を得て、1877年(明治10年)9月16日から12月にかけて発掘調査を行った。助手ら3人とともに土器、骨器、獣骨を発見した。1879年(明治12年)に日本初の発掘報告書である“Shell Mounds of Omori”(英文報告書)を出版した。4ヵ月後に和訳版の『大森介墟古物編』が刊行された。
当時の地主と東京大学、文部省との間で交わされた文書が見つかり、モースの発掘した貝塚の位置は、「大森貝塚」碑付近であったと判明した。
調査
1984年と1993年に大森貝塚遺跡庭園整備などの発掘調査が行われ、住居址や土器・装身具・魚や動物の骨などが大量に出土した。
出土
モース博士らの発掘した貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿・鯨の骨片、人骨片などの出土品は東京大学に保管されている。
2つの石碑
『大森貝塚』には、ふたつの石碑がある。品川区の『大森貝塚遺跡庭園』(品川区大井6-21)、と大田区(大田区山王1丁目)である。モース博士は詳細な発掘場所を書いていないため、発掘地点について品川区説と大田区説のふたつが存在していた。その後の調査によりモース博士が初めに発掘したのは、品川区と判明している。