最初の朝貢は57年である。倭の奴国王が光武帝に使いを送って朝貢し、「漢委奴国王」の印綬を授けられた。239 年 卑弥呼は魏に使者を送り、奴隷の男4名、婢6名、班布(まだら織の布)2匹2丈を献上した。いささか貧弱な貢物であった。班布は紵麻(チョマ)と呼ばれる麻の布であったとされる。2丈(約4.7m)の布を2反贈ったと理解できる。それに対する皇帝の下賜品は豪華であった。「親魏倭王」の称号や銅鏡などを授かったとされる。
倭の五王時代には上表文を提出し、称号を求めている。これらから、この時代は冊封体制に組み込まれていたと考えられる。