滋賀県大津市月輪の超明寺に江戸時代から保存されている。高さ40.3cm。幅18.5cm、厚さ14.2cmと小型である。表面は平滑である。
江戸時代1676年、新田開発中に月輪大池から出土した。
発見者の子孫・清水与兵衛から、超明寺(浄土真宗本願派)が寄進を受けた。
しかし『大日本金石史』(木崎愛吉)で偽作とされ、顧みられなくなった。
理由は明確でないが、養老元年は十一月の改元で、十月十日は霊亀三年が正しいこと、『集古十種』の拓本があいまいであることによるとされる。
しかし国立歴史民俗博物館の企画展示図録に収録され、再評価されるようになった。
真贋は未確定であるものの、以下の点で贋作と断定しにくい。
- 銘文は山ノ上碑、[[額田寺伽藍並条里図]、阿波国造碑?に通じるところがある。
- 書風は7世紀以来の古い書体と通じる。
- 安万侶墓誌?の書風とも似る。
- 碑の形態は阿波国造碑?、采女氏塋域碑?と共通する。
- 枠線の存在は、朝鮮古碑と共通する。