622年(推古30年)、
聖徳太子?の妃である
橘大郎女?が、太子の死後、推古に依頼して采女に天寿国の様子を刺繍に仕立てたものとされる。
繍帳二帳よりなり、そこには百個の亀甲が刺繍され、亀の甲には一個に四字ずつ、都合四百繍帳造顕の由来が文字で書かれていた。銘文の全文は『
上宮聖徳法王帝説?』に書き留められた。それによれば絵を描いたのは東漢末賢、高麗加西溢、漢奴加己利、これを監督したのは椋部秦久麻とされる。現在は、鎌倉時代の模本の断片と、当初の断片を貼り交ぜた状態となっている。
中宮寺本堂に安置されているものは複製であり、実物は奈良国立博物館に寄託されている。