島庄遺跡は嶋宮推定地一帯に広がる縄文時代以降の複合遺跡である。島庄遺跡から嶋宮の一部と見られる建物跡が出土している。島庄遺跡の飛鳥時代の遺構としては一辺約40mの方形池や石組暗渠・曲溝・川跡・小池・掘立柱建物等が検出された。柱穴が一辺1m以上もある大型建物であり、7世紀前半と後半に推定されることから、蘇我馬子の「飛鳥河の傍の家」や「嶋宮」の時代とも重なる。
島庄には『
日本書紀』や『
万葉集』の記述から蘇我馬子の「飛鳥河の傍の家」や草壁皇子の「嶋宮」が存在したとされており、蘇我馬子の邸宅には池をもつ庭園があったことが知られている。