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- 難波宮「玉作五十戸俵」木簡
「玉作五十戸俵」の
木簡は7世紀後半の記載様式とみられる。文字は片面のみである。両側に三角形の切込みがあったので「荷札木簡」と分かる。五十戸は「サト」と読む飛鳥時代の書き方である。律令制では五十戸が1里であった。意味は「玉作のサトから米俵を貢納した」。
庚午年籍以後と考えられていた地方支配の制度が、天智4年(665)以前に遡ることが示された。飛鳥時代の制度は「国―評―五十戸」と考えられる(四国新聞,2015年2月3日)。
史跡難波宮跡の南西約100m、前期難波宮(長柄豊碕宮)の建設に伴うと考えられる整地層の直下の地層から出土した。地層の時期は、前期難波宮が完成する白雉3年(652)前後より古いと考えられている。簡の片面に
「皮留久佐乃皮斯米之刀斯□」と11字が完全に残り、12字目をわずかに残して折れている。万葉仮名文の成立はこれまで7世紀末頃とされていたが、この木簡の出土により、その成立が7世紀中頃まで遡る可能性が出てきている。1字を1音に当てるのは万葉仮名の方式である。木簡は「春草のはじめのとし」と読む。“春草の”は万葉集では枕詞として使われており、全体は五音・七音を重ねた和歌と考えられる。日本語表記や和歌の重要な資料である(大阪市,2019年1月9日)。
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