考古学者は、箸墓古墳は日本列島における最初の大王墓と考える向きがある。墳丘の周囲をめぐる幅10メートル程度の
周濠と、その外側に広がる大規模な外濠状遺構が存在し、幅は50メートル以上で、またその南端部分では人工的な盛り土が確認されている(参考文献3)。
周濠内の堆積土から木製の輪鐙(馬具)がみつかった。輪鐙は四世紀初めに
周濠に投棄されたと推定され、国内最古の馬具である可能性が高いと発表する。しかしこれは、3世紀中頃の古墳築造を否定するものではない。古墳と外濠とが同じ時代の築造とは限らないからである。実際3世紀ころは古墳に
周濠を作ることは慣習化されていない。
木製輪鐙は2001年度(平成10年度)に行われた箸墓古墳後円部裾の調査で
周濠の上層から出土している。復元すれば長さ23センチメートル程度のもので、孔の上部に鐙靼によって摩耗したと考えられる幅1センチメートル程度の摩耗痕が認められているので、実際に使用されていたものと考えられている。国内の木製輪鐙の出土は宮城県仙台市1点(5世紀代)、滋賀県長浜市1点(5世紀末〜6世紀後半)、大阪府四條畷市2点(5世紀後半)の4点で、箸墓古墳で5例目となる。4世紀初の日本最古の鐙とされている。