古墳時代の終末期(7世紀半ば)に登場した。八角墳は
道教思想?に基づいているというのが、通説である。占に八卦(はっけ)がある。八卦では、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤の8つで、方位や自然、家族や、体の部位を当てはめて運勢や吉凶を占う。東西南北にその中間を足して、八方位となる。八極や、八柱という概念は八が全ての方向を示すという考え方は、古代から存在する。3種の神器は、八咫鏡、八十握剣、八坂瓊勾玉などすべて八である。八幡神、八百万の神々など。
別説に六世紀中葉に伝来した仏教思想に基づく鎮魂の意味とするものがある。法隆寺夢殿などり八角形の堂宇がある。
八角墳は7世紀の半ば以降になると、大王墓のみとなる(一部例外あり)。7世紀半ば以降は、日本で初めて大王に固有の型式の陵墓となったとされる。
白石太一郎は「律令国家を形成する過程で、豪族を超越した存在だと誇示するために違いを強調したのではないか」と指摘する。