朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の歴史学者・金錫亨は「三韓三国の日本列島内の分国について」を発表した。これは1964年に日本語に翻訳され、雑誌に3回に渡り掲載された(金錫亨・(訳)鄭晋和(1964))。
これは三韓三国の分国がそれぞれ日本列島内に存在し、『
日本書紀』に登場する三韓三国は朝鮮半島内の本国を指すのではなく、日本列島内のそれぞれ分国を指すものと論じた。
日本古代文化のルーツが朝鮮にあり、古代の日本が三韓(馬韓・弁韓・辰韓)三国(
高句麗?・
百済?・
新羅?)の植民地であったかのような古代史像を描いている。
九州北部、出雲・吉備、畿内の3地方にこれらの移住民の小国が50ばかりあったとする。
九州北部では百済・駕洛系、出雲・吉備は新羅系がそれぞれ優勢であり、畿内では当初から原住民が比較的強かったが、その後、出雲・吉備から進出して来た新羅系が優位に立った。ところが5世紀末〜6世紀末初めに九州北部の百済・駕洛系が襲い圧倒的に優勢となったというストーリーを描いた。