1号墓の墳丘中央部に東西長4.6m、南北幅3.5mの墓壙が掘られ、王は内面に赤く朱を塗った割竹形木棺の中に頭位を西に向けて安置されていた。胸には青いガラス製の勾玉を身につけ、傍らからはガラス小玉が出土した。棺の内外から計40面の破砕された銅鏡、鉄
素環頭大刀、耳璫(じとう)、瑪瑙(めのう)管玉が出土している。出土した副葬品は一括して国宝に指定されている。弥生時代後期(2世紀後半)に築かれたと考えられている。
ガラス耳璫(じとう)は古代中国の漢の時代の女性専用の装身具である。漢の貴族の女性が身に着けているが、日本での出土はこれだけである。武器類は少なく、装身具が多く出土していることから、女王の墓と考えられている。鏡・大刀・勾玉という『三種の神器』が副葬されていた。
平原王墓には総数40面の銅鏡が副葬されていた。平原王墓から出土した銅鏡のなかでも同じ型からつくられた5面の
内行花文鏡は直径46.5cmに達する。わが国において最大であり、世界にも類を見ない超大型の銅鏡である。弥生時代では、ひとつの墓から出土した銅鏡の数として日本一である。大型
内行花文鏡のうち1面は
九州国立博物館、4面は
伊都国歴史博物館に展示される。
出土 | 内容 |
銅鏡 | 前漢鏡 2(中型),後漢鏡32(大型6,中型27),仿製鏡5(超大型4,小型1) |
武器 | 鉄素環頭太刀 1 |
装飾品 | ガラス製勾玉3,ガラス管玉20,ガラス小玉600,赤瑪瑙管玉12,蛋白石丸玉500,蛋白石耳 玉 |
平原王墓の西に二対、北裾に一対の鳥居状の並び柱跡が確認されている。王墓の東に直径約70cmの大柱を埋めた柱穴が検出された。葬送の儀礼に際して樹立された柱群と考えられている。対の並び柱は鳥居のような役割を果たしたと考えられている。