1989年の移動調査により、光背や三尊像が後代の作とすることは否定された。
すると銘文が「追刻」であるかが問題となる。つまり「上宮法皇」の記載が623年に存在するのか、という疑問である。しかし東野は次の反論を行った。
- 「上宮法皇」は天皇号の成立がなくともあり得るとする。
- 「仏師」の記載例は奈良時代以降とする見解もあるが、史料的限界から断定できない。
- 現物調査では釈迦三尊像と同時に作られたと考えられる。
東野は刻銘の字画内に鍍金が存在するかどうか、字画の周囲にメクレが存在するかを検討した。鍍金が存在すれば、銘は造像の製作過程で入れらたと判断できる。東野は2000年3月に法隆寺で調査した。その結果、光背裏面に全面に点々と鍍金があることを確認した。刻銘のある部分には周囲にそれ以外とは異なる平滑さが認められる。平滑な部分は光背製作過程で意図的に製作されたと考えられる。拓本の採取過程で生じたものではないとした。
光背は製作当初から現在の銘文を入れるように計画されていたことを示す。釈迦三尊像と銘文は一体のものである。