古代史の散歩道 - 豊田狐塚古墳
豊田狐塚古墳
(とよだきつねづかこふん)は奈良県天理市に所在する古墳である。
概要
天理市豊田町の集落北側の丘陵地で布留川が形成した扇状地・段丘を見下ろす高台にある。明治8年の文書で江戸時代末期に盗掘され、勾玉や刀が出土したとされている。
2015年4月9日、2016年4月9日、2017年4月日に現地説明会が行われた。三葉文楕円形
杏葉
は国内で 25 例程度が知られている。旋回式獣像鏡は全国で 120 面程度が知られている倭製鏡である。
規模
墳形は未確定であるが、直径20m程度の円墳とみられている。
遺構
両袖式
横穴式石室
で天井石と側壁の一部は失われている。玄室長4.4m、幅2.2m、玄門幅0.8m。石室は、奥行き約4.4m、幅約2.2m、高さ約2.2m。3基の木棺が安置されていたと推定されている。羨道は玄門の幅約 0.8 mで、調査区内では長さ約1mを確認した。壁面に 30 〜 100cm 程度の大きさの石材を7段程度積んでいる。床面に直径5〜 10cm 程度の床石を敷き詰める。玄門付近の須恵器は奥壁付近の
須恵器
よりやや新しい時期のものがみられることから、追葬がおこなわれた可能性が考えられている。
出土
棺ごとに異なる種類の玉が副葬されている。
旋回式獣像鏡 1面(直径9センチ)、
旋回式獣像鏡は全国で 120 面程度が知られている倭製鏡。
馬具 (辻金具 5、雲珠1、金銅装三葉文楕円形杏葉1、環状鏡板付轡2)
武器器(鉄刀・鉄鏃など)
水晶製
切子玉
土製
丸玉
100以上
琥珀製
平玉
ガラス製
小玉
銀製空玉
須恵器
50点以上(有蓋台付長頸壺・高杯・ハソウ・杯身・杯蓋・無蓋高杯など)
土師器
(直口壺など)
築造時期
6世紀中葉〜後葉と考えられている。
出土品
被葬者
実際の被葬者は明確ではない。
布留遺跡
に関わる有力な首長墓。布留遺跡は、飛鳥時代、蘇我氏のライバルだった物部氏の本拠地の一つと想定されており、物部氏の首長層に次ぐ有力者の可能性がある。
アクセス等
名称:豊田狐塚古墳
所在地:〒632-0012 奈良県天理市豊田町815
交通: JR・近鉄天理駅より 徒歩約30分
参考文献
肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版