本体下部に銀製の脚をつける。小さなガラス環にそれぞれつなぎ目があり、全て下を向いている。金属製の受座(脚9は明治時代の補修の際に金工家によって制作されたものが付けられた。補修後に、もともと付けられていたと思われる受座が同じ正倉院から見つかった。忍冬文を透かし彫りした鍍金銀製の金具で明治38年5月に正倉院の塵芥中からみつかった。この六方放射の忍冬文はガラス坏の下段の環形にうまくはめることができた(参考文献1,p.145)。しかし
ササン朝ペルシャの輸出品は全て金属製の受座がない状態であった(参考文献1,p.165)。受座の金具は
飛鳥時代の日本、中国、
新羅?のいずれかで取り付けされたと推定される(参考文献1,p.165)。