概要
標高30メートル前後の台地を利用して作られた。
墳丘長151mは、舟塚山古墳(墳丘長186m/石岡市)に次いで茨城県内第2位である。久慈川流域を支配していた久自国造舟瀬足尼の墳墓と伝えられる。後円部に対して前方部が著しく未発達であることから、築造時期は古墳時代前期と推定されている。梵天山古墳群の一部として茨城県の史跡に指定され、また茨城百景に選ばれる。
調査
1965年に明治大学が測量調査した。主軸長151m、後円部復元径90m余、高さ13m、埴輪、葺石は確認されていない。内部主体は未発掘と想定される。