弥生時代末期から
古墳時代前期にかけての集落遺跡である。纒向川の扇状地に広がる東西約2キロメートル、南北約1.5キロメートルの広大な遺跡である。纏向遺跡は規模が大きいこと、東海地方を始めとする他地域の土器が大量に出土したことから注目されている。この遺跡は地域間交流の重要拠点であったと見られている(参考文献2)。
3世紀の国内最大級の集落跡であり、
邪馬台国畿内説の有力候補地とする説もある。3世紀初めに突然に大集落が形成され、集落内には纒向型前方後円墳と呼ばれる共通の規格のある発生期の古墳群が登場している。農耕具はほとんど出土しないこと、多数の掘立柱建物、大規模な水路、祭祀土坑などが検出され、ヤマト政権発祥の地と考える説が有力である。
旧纒向村の多くの大字に跨って遺構の存在が確認された為、「纏向遺跡」と命名されている。