ササン朝ペルシャ(ささんちょうぺるしゃ,Sassanid Persia)は紀元後226年に建国したイラン民族による統一国家である。農耕イラン人のペルシア人が建国した。
西方は黒海から東は中央アジアまで広大な領土を支配した。通貨は銀貨を主とするが、ほかに金貨、銅貨を鋳造した。ササン(サーサーン)は、初代皇帝のアルデシールの祖父の名に由来する。都はパルティアと同じクテシフォンに置かれた。ササン朝はアルメニアの帰属に関して西方のローマ帝国と激しく争った。363年には首都クテシフォン付近まで遠征してきたローマ帝国のユリアヌス帝を破り、ユリアヌス帝は戦死した。ホスロー1世(在位531〜579)はギリシア人学者の亡命を受け入れ、首都クテシフォンに哲学や医学の研究機関を設立し、ギリシアやインドの著作のペルシア語訳を進めた。イスラム勢力は637年にカーディシーヤの戦いでササン朝ペルシア軍を破り、ヤズダギルト3世(在位632年-651年)は651年にメルヴで部下の総督に殺害され、ササン朝ペルシアの最後の王となり、ササン朝ペルシアは滅亡した。以後、イランはイスラーム王朝となる。
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