縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう)は、奈良県斑鳩町の中宮寺にある日本最古の刺繍遺品である。

概要

622年(推古30年)、聖徳太子?の妃である橘大郎女?が、太子の死後、推古に依頼して采女に天寿国の様子を刺繍に仕立てたものとされる。
繍帳二帳よりなり、そこには百個の亀甲が刺繍され、亀の甲には一個に四字ずつ、都合四百繍帳造顕の由来が文字で書かれていた。銘文の全文は『上宮聖徳法王帝説?』に書き留められた。それによれば絵を描いたのは東漢末賢、高麗加西溢、漢奴加己利、これを監督したのは椋部秦久麻とされる。現在は、鎌倉時代の模本の断片と、当初の断片を貼り交ぜた状態となっている。
中宮寺本堂に安置されているものは複製であり、実物は奈良国立博物館に寄託されている。

大意

前半では斯帰斯 宮治天下天皇(欽明天皇)から等已刀弥弥乃弥己等(聖徳太子)とその妃の多至波奈大女郎(橘大郎女)の系譜を記載し、辛巳十二月廿一癸酉日(推古29年12月21日,621年)に孔部間人母王(聖徳太子の母・穴穂部間人皇女)がなくなり、翌は二月廿二日甲戌には、聖徳太子もなくなった。多至波奈大女郎(橘大郎女) はこれを悲しみ嘆き、推古天皇(祖母)に太子は「世間は虚仮(こけ)である。仏だけが真実である」と語った。太子は天寿国に往生したが、その様子は見えない。太子が往生した天寿国を図に表して冥福を祈りたいと述べた。推古はもっともなことと思い、采女らに命じて繡帷二帳を作らせた。

原文

  • 斯帰斯麻 宮治天下 天皇名阿 米久爾意
  • 斯波留支 比里爾波 乃弥己等 娶巷奇大
  • 臣名伊奈 米足尼女 名吉多斯 比弥乃弥
  • 己等為大 后生名多 至波奈等 已比乃弥
  • 己等妹名 等已弥居 加斯支移 比弥乃弥
  • 己等復娶 大后弟名 乎阿尼乃 弥己等為
  • 后生名孔 部間人公 主斯帰斯 麻天皇之
  • 子名蕤奈 久羅乃布 等多麻斯 支乃弥己
  • 等娶庶妹 名等已弥 居加斯支 移比弥乃
  • 弥己等為 大后坐乎 沙多宮治 天下生名
  • 尾治王多 至波奈等 已比乃弥 己等娶庶
  • 妹名孔部 間人公主 為大后坐 瀆辺宮治
  • 天下生名 等已刀弥 弥乃弥己 等娶尾治
  • 大王之女 名多至波 奈大女郎 為后歳在
  • 辛巳十二 月廿一癸 酉日入孔 部間人母
  • 王崩明年 二月廿二 日甲戌夜 半太子崩
  • 于時多至 波奈大女 郎悲哀嘆 息白畏天
  • 皇前曰啓 之雖恐懐 心難止使 我大皇與
  • 母王如期 従遊痛酷 无比我大 王所告世
  • 間虚仮唯 仏是真玩 味其法謂 我大王応
  • 生於天寿 国之中而 彼国之形 眼所叵看
  • 悕因図像 欲観大王 往生之状 天皇聞之
  • 悽然告曰 有一我子 所啓誠以 為然勅諸
  • 采女等造 繡帷二張 画者東漢 末賢高麗
  • 加西溢又 漢奴加己 利令者椋 部秦久麻

参考文献

  1. 文化庁編(2020)『発掘された日本列島』共同通信社

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