縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

タグ検索で寺院34件見つかりました。

 1  2  次の14件

天寿国繡帳

''天寿国繡帳''(てんじゅこくしゅうちょう)は、奈良県斑鳩町の中宮寺にある日本最古の刺繍遺品である。 *概要 622年(推古30年)、[[聖徳太子]]の妃である[[橘大郎女]]が、太子の死後、推古に依頼して采女に天寿国の様子を刺繍に仕立てたものとされる。 繍帳二帳よりなり、そこには百個の亀甲が刺繍され、亀の甲には一個に四字ずつ、都合四百繍帳造顕の由来が文字で書かれていた。銘文の全文は『[[上宮聖徳法王帝説]]』に書き留められた。それによれば絵を描いたのは東漢末賢、高麗加西溢、漢奴加己利、…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c5%b7%bc%f7%b9... - 2023年05月05日更新

元暁

を伝えたため、東大寺を始めとする南都の諸寺院で元暁が知られた。 *著書 -『金剛三昧経論』3巻 -『華厳経疏』10巻(1巻現存) -『起信論疏』2巻、 -『涅槃宗要』1巻、 -『十門和諍論(じゅうもんわじょうろん)』2巻(残欠) -『大慧度経宗要』 -『戒本私記』 -『十門和諍論』 *参考文献 +[[佐伯有清]]訳(1988)『三国史記倭人伝 他六篇: 朝鮮正史日本伝 1』岩波書店 +金任仲(2008)『新羅僧元暁と義湘伝-『華厳縁起』を中心に-』文芸研究106, 明治大学文芸研究会,pp.59-76 +…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b8%b5%b6%c7... - 2023年05月05日更新

高仙寺誓憧和上塔碑

''高仙寺誓憧和上塔碑''(こうせんじせいとうわじょうとうひ)は、韓国慶州市暗谷洞の高仙寺址にある石塔の碑文である。 *概要 [[元暁]](大師)の孫仲業は779年に新羅使の一員として来日した。日本の文人淡海三船は元暁の孫に会えたことを喜び、仲業を歓待した。誓憧は元暁の幼名である。[[三国史記]]巻四元暁不覇の条に「師姓小名誓憧」と書かれる。 *原文 -(大意) 大歴の春 大師の孫の翰林、字は仲業■は遠い滄暝(万里の)■■日本に使いした。その国の上宰因(石上朝臣宅嗣([[石上宅嗣]])か)は語って・・・…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b9%e2%c0%e7%bb... - 2023年05月05日更新

良弁

''良弁''(りょうべん、ろうべん,689年―773年)は[[奈良時代]]の華厳宗の僧である。華厳宗の開祖とされる。 *概要 百済系渡来人の子孫とされる。近江または相模の人とされる。『大山縁起』(真名本)では相模国の染屋太郎大夫時忠の子とされる。「染屋」は「漆部」とも伝わる。別伝で近江百済氏の出身で幼時に鷲にさらわれ、義淵僧正に育てられたとされる。『国史大辞典』には良弁の出自について、近江説と相模説があるが近江が有力、と記載される。 義淵に法相を、新羅僧審祥(しんじょう)に華厳を学び、金鐘寺を建立した。[…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ce%c9%ca%db... - 2023年04月11日更新

松尾寺

''松尾寺''(まつおでら)は奈良県大和郡山市山田町にある日本最古の厄除霊場である。 *概要 松尾山縁起(天平古記録)によれば、養老2年(718年)、[[舎人親王]]が、勅命による日本書紀編纂の折、42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立された日本最古の厄除霊場とされる。境内に神霊石の大岩や役行者の聖蹟、多数のの石仏がある。春と秋のバラの季節にお花畑が一般に公開される。松尾寺からさらに登っていくと展望のよい松尾山神社がある。法隆寺から松尾道を登り溜池の堤防の東側に斑鳩神社がみえ…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%be%be%c8%f8%bb... - 2023年04月04日更新

仏閣

建に始まり、奈良時代、平安時代に作られた寺院を古代史の仏閣という。 *概要 創建の時代別に分類する。 *飛鳥時代 -[[飛鳥寺]] -[[豊浦寺]] -[[尼寺廃寺跡]] -[[法隆寺]] -[[坂田寺]] -[[和田廃寺]] -[[檜隈寺]] -[[豊浦寺]] -[[百済大寺]] -[[山田寺]] -[[軽寺]] -[[川原寺]] -[[薬師寺]] -[[橘寺]] -[[紀寺]] -[[久米寺]] -[[檜隈寺]] -[[軽寺]] -[[薬師寺]] -[[紀寺]] -[[久米寺]] *奈良時代 -…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ca%a9%b3%d5... - 2023年04月04日更新

仏舎利

''仏舎利''(ぶっしゃり)は入滅した釈迦の遺骨である。 *概要 舎利は「遺骨・遺体」を意味するサンスクリット語の「sarira」から由来する。 舎利は釈迦をしのぶものとして信仰された。舎利を美しい容器に納入することは古代インドから始まる。仏教の伝播にともない、舎利信仰は中国、韓国、日本に伝わわった。 *仏舎利塔 釈迦の遺徳を慕って、近くの8カ国から仏舎利分譲の強い懇請があり、地元のマルラ人たちはそれぞれ国王に分譲した。分譲をうけた8カ国と地元は、仏舎利をまつるための塔を10ヶ所建てた。これが仏舎利塔の…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ca%a9%bc%cb%cd... - 2023年03月31日更新

孔雀文刺繍幡身

の縁がある。両面から刺繍があることから、寺院の堂内や法会の場を飾った幡身の一部と考えられる。他の天平時代の刺繍と同様に撚りをかけない光沢のある平糸が使用されてる、平縫が主体である。木の幹や草花の茎などの細い部分には鎖縫が使われている。日本製と推測されている。当時の刺繍技術を知るための貴重な資料である。 *模様 紫綾に孔雀、果樹、草花などを刺繍した縦長の裂である。地裂の綾には獅子・花・雲・唐草などが織り出されている。[[夾纈]]の文様は9.5cmを1パターンとして繰り返し、緑・黄・赤の繧繝に彩色する。丈4c…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b9%a6%bf%fd%ca... - 2023年03月28日更新

武寧王陵

''武寧王陵''(ぶねいおうりょう, 무령왕릉)は、大韓民国忠清南道公州市にある古墳で、[[松山里古墳]]群の中で7番目に発見された古墳である。百済第25代王の武寧王とその王妃の陵である *概要 武寧王は第25代の百済の王で、501年に殺害された兄の[[東城王]]の後を継ぎ40歳で即位した。松山里古墳の五号墳、六号墳の天井から水漏れがあったため、1971年6月29日から修理工事を始めた。地面の下から石炭の混じる硬い土層に当たり、煉瓦の角を掘り当てた…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c9%f0%c7%ab%b2... - 2023年03月21日更新

栢ノ木遺跡

出町新庁舎等整備事業に伴う発掘調査で古代寺院の井手寺の塔が発見された。発表は2021年4月14日である。 木津川の支流の玉川右岸の段丘上に栢ノ木遺跡は立地する。 井手寺跡は、京都府綴喜郡井手町大字井手小字東高月、西高月、栢ノ木に所在する。井手寺は奈良時代天平期の聖武天皇治下で活躍した橘諸兄が創建した橘氏の氏寺と考えられている。平成13年度、道路拡幅に伴い初めて本格的調査が実施され、15年度からの4ヶ年の確認調査開始で伽藍配置等が明らかにされつつある。これまでの調査で井手寺跡は同地域に241.2m2の寺域を…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b3%fc%a5%ce%cc... - 2023年03月20日更新

押出仏

要 造仏技法の一つである。押出仏は、古代寺院で堂内荘厳などに用いられた。多くは表面に箔を置く。那智山出土の東京国立博物館蔵『金銅薬師仏』、正倉院蔵の『銅如来像』は押出仏の原型である。 *事例 -[[押出仏(観音菩薩立像)>https://www.narahaku.go.jp/collection/1145-0.html]] 奈良時代 8世紀、[[奈良国立博物館]] -[[押出阿弥陀三尊よび僧形像>https://emuseum.nich.go.jp/detail?&langId=ja&webV…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b2%a1%bd%d0%ca... - 2023年02月25日更新

物部尾輿

''物部尾輿''(もののべ の おこし)は6世紀半ばの豪族である。 *概要 安閑・欽明の時代のの大連である。 **安閑元年(534年) 元年閏12月(坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994))、 物部尾輿の初見記事である。幡媛(はたひめ)が物部尾輿の首飾り(瓔珞)を盗んで春日皇后に献上したとされる。これが発覚して、廬城部連は、娘の幡媛を采女に差し出した。また安藝國の過戸の廬城部屯倉を献上したとされる。物部尾輿は自身に累が及ぶことを恐れて十市部(磯城郡)・伊勢國(正しくは摂津のようである)の來…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%ca%aa%c9%f4%c8... - 2023年02月18日更新

尼寺廃寺跡

じはいじあと)は奈良県香芝市にある古代の寺院跡である。 *概要 香芝市の北端王寺町との境界に位置する。北廃寺と南廃寺とがある。両伽藍は南北約200m離れている。現在は塔跡以外は平地の水田や畑にされている。般若寺本堂が南廃寺にあるが、ここは創建当初の基壇上に建築された可能性がある。付近に500m以内に[[平野古墳群]]、[[平野窯跡群]]がある。7世紀中期以降に創建されたと考えられている。塔心礎は巨大な地下式心礎であり、塔心礎としては日本最大級の規模になる。 [[蘇我日向]]が白雉五年(654年)に創建し…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c6%f4%bb%fb%c7... - 2023年02月11日更新

蘇我日向

''蘇我日向''(そがのひむか、7世紀中頃)は飛鳥時代の古代[[豪族]]である。 「曽我日向子」とも記される。名は「身刺(むさし)」(大化5年)「身狭」「武蔵」「無耶志」。 *概要 [[蘇我馬子]]の孫、[[蘇我倉麻呂]]の子。飛鳥時代に活躍した政治家・豪族である。 親の「蘇我倉」が苗字とすれば、なぜ「蘇我日向」に戻るのであろうか。 *密通事件 皇極三年一月一日条、[[中大兄皇子]]は[[蘇我倉山田麻呂]]の娘と婚約したが、その日の夜に一族の蘇我日向に偸(ぬす)まれたとされる。次女の遠智娘が身代わりとな…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c1%c9%b2%e6%c6... - 2023年02月11日更新

如意

''如意''(にょい)は仏教の僧が説法、講経、法会などで、僧が手に持つ仏具である。 *概要 鉄・銅・角・竹・木などで作られる。先端が曲がっており、蕨の形をなす。 長さは30cmから1m前後である。 『禅林象器箋』によれば、説法で納得した場合、孫の手でかくように、痒いところに手が届いたことになることが由来とされる。 *参考文献 +奈良国立博物館(2008)『正倉院展六十回のあゆみ』[[奈良国立博物館]] …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c7%a1%b0%d5... - 2023年02月08日更新

灌頂幡

''灌頂幡''(かんじょうばん)は仏教の儀式「灌頂」で用いる旗である。 *概要 灌頂は頭に水を注ぎ、仏弟子として一定の位に昇ったことを証する儀式である。灌頂幡は仏堂の荘厳具の一つである。 *参考文献 +奈良国立博物館(2008)『正倉院展六十回のあゆみ』[[奈良国立博物館]] …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%de%f5%c4%ba%c8... - 2023年02月08日更新

赤地鴛鴦唐草文錦大幡脚端飾

''赤地鴛鴦唐草文錦大幡脚端飾''(あかじおしどりからくさもんにしきのだいばんのきゃくたんかざり、Decorative Edge From a Banner Leg of Red compound Twill-Wave Silk) with Mandarin Duck and Floral Scrollsは[[正倉院]]に収蔵されている大灌頂幡の留め飾りの一部である。正倉院展では「赤地鴛鴦唐草文錦大幡垂飾」の名称であった。 *概要 757年、聖武天皇一周忌斎会の際に用いられた、 [[灌頂幡]]の脚端飾で…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c0%d6%c3%cf%b1... - 2023年02月08日更新

日本書紀

諸家の家記、官の記録、個人の日記・手記、寺院の縁起類、朝鮮側史料、中国史書など多方面にわたる資料を参照している。異説を強いて統一せず、「一書」として併記したり、注として付記し、後人の勘校に俟つ旨を記す学問的態度をとる。 *写本 紅葉山文庫旧蔵版は、1513年(永正10年)頃、歌人で和漢の学に通じていた公卿の三条西実隆が作成した写本を、慶長年間(1596―1615)に転写したものである。。30巻揃った『日本書紀』として現存最古のもの。 *六国史 官撰の6種の国史をいう。8世紀から10世紀の初頭にかけて、律…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c6%fc%cb%dc%bd... - 2023年01月05日更新

金銅幡

''金銅幡''(こんどうのばん, Ban-type Banners)は、菩薩の威徳を示すための仏具で、[[法会]]の際に掲げられる金銅製の旗である。 *概要 花唐草や亀甲などで透かし彫りした金銅板4枚を蝶番で縦に四枚連ねた幡である。切り透かして文様を表す。間に鈴や葉形の垂飾を付ける。 幡身は四つの坪に分けられる。各坪は1枚の銅板で鍍金を施す。第1坪は[[唐草文]]、第2坪は[[亀甲文]]に鈴をつける。第3坪は直線文に花卉、第4坪は球繋ぎの飾りと[[含綬鳥]](授帯を咥える鳥)の構成である。 *管理 -…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b6%e2%c6%bc%c8... - 2022年12月17日更新

校倉

''校倉''(あぜくら)は三角形断面をした木材を井桁 に組み建物の外壁とする倉である。奈良時代に多い。 *概要 現存最古の校倉は唐招提寺の経蔵である。奈良時代の8世紀に作られた。唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれる。東大寺法華堂経蔵は奈良時代もしくは平安初期の校倉である。東大寺本坊経倉。…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b9%bb%c1%d2... - 2022年12月17日更新

 1  2  次の14件

メンバーのみ編集できます