縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

タグ検索で金石文9件見つかりました。

天寿国繡帳

''天寿国繡帳''(てんじゅこくしゅうちょう)は、奈良県斑鳩町の中宮寺にある日本最古の刺繍遺品である。 *概要 622年(推古30年)、[[聖徳太子]]の妃である[[橘大郎女]]が、太子の死後、推古に依頼して采女に天寿国の様子を刺繍に仕立てたものとされる。 繍帳二帳よりなり、そこには百個の亀甲が刺繍され、亀の甲には一個に四字ずつ、都合四百繍帳造顕の由来が文字で書かれていた。銘文の全文は『[[上宮聖徳法王帝説]]』に書き留められた。それによれば絵を描いたのは東漢末賢、高麗加西溢、漢奴加己利、…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c5%b7%bc%f7%b9... - 2023年05月05日更新

法興年号

の存命中は法興年号が使われたと考えると、金石文、中国史料と合理的に矛盾なく説明できる。31年続いた王朝が使用する年号が私年号とは言いにくいのではなかろうか。 *『釈日本紀』が引用する「伊予風土記」逸文 -法興六年十月 歳在丙辰 我法王大王与慧慈法師及葛城臣  -道遙夷予村正観神井 歎世妙験 欲叙意 聊作碑文一首   -惟夫 日月照於上而不私 神井出於下無不給 万機所以妙応  -百姓所以潜扇 若乃照給無偏私 何異干(天の誤りか)寿国  -随華台而開合 沐神井而?(癒)疹 ?(言巨)舛于落花池而化弱 -窺望…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%cb%a1%b6%bd%c7... - 2023年03月30日更新

江田船山古墳大刀銘

5世紀後半に日本で書かれた現存する最古の金石文であり、獲加多支鹵大王は雄略天皇に比定する説が通説となっている。刀は練りを80回、打ちに打った三寸の刀など、治天下、八十練、十振など日本独特の表現がある。埼玉古墳群・稲荷山古墳の獲加多支鹵大王と同じ文字が刻まれる。大王が刀を持つ者の政治力・軍事権を認めたと解釈されている。 *発見の経緯 1873年(明治6年)、熊本県玉名郡和水町にある江田船山古墳から横口式家型石棺が検出され刃渡り85.3センチメートルの大刀と銀象嵌の銘文が発見された。大正末期に日本刀の研師によ…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b9%be%c5%c4%c1... - 2023年03月26日更新

多胡碑

991)「上野三碑をめぐって」『古代日本金石文の謎』学生社 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c2%bf%b8%d5%c8... - 2023年03月24日更新

多治比三宅麻呂

''多治比三宅麻呂''(たじひ の みやけまろ、生没年不明)は[[飛鳥時代]]から[[奈良時代]]にかけての貴族である。最高位は正四位上・左大弁である。 *概要 父は多治比古王(丹比麻呂)、母は大伴比羅夫娘とされる。 初出は『[[続日本紀]]』703年(大宝3年)、大宝令を全国に普及させる過程で「政績を巡省して冤枉を申理する」ため、[[東山道]]に派遣された。各道毎に録事一人をつけ、国司、郡司の治績を巡視して、寃罪を申告させ、不正をたださせた。七道に一人ずつ派遣された。「東山道」の「各国司・郡司」などの…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c2%bf%bc%a3%c8... - 2023年03月14日更新

金井沢碑

991)「上野三碑をめぐって」『古代日本金石文の謎』学生社 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b6%e2%b0%e6%c2... - 2023年03月08日更新

山ノ上碑

991)「上野三碑をめぐって」『古代日本金石文の謎』学生社 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%b3%a5%ce%be... - 2023年03月08日更新

武田幸男

大学名誉教授。 *概要 専攻は朝鮮史。金石文・文献史料双方に精通し、朝鮮古代史の先達として活躍した。 末松保和の研究を継承する。広開土王碑の研究で知られ、数多くの拓本を収集した。[[広開土王碑]]に関する「好太王碑改竄説」や解釈が成り立たないことを論証した。中国正史に見られる「倭の五王」遣使記事を検討し、当時の倭国の大王が中国王朝に対して「倭」という姓を名乗っていたことを指摘した。『新羅中古期の史的研究』では朝鮮半島の古代史で主導的役割を担った新羅について、とくに飛躍的な発展を見せた新羅中古期(514〜…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c9%f0%c5%c4%b9... - 2023年03月03日更新

宇治橋断碑

化二年の「大化」年号を記載する現存唯一の金石文である。『帝王編年記』(14世紀後半成立)に碑の全文が収録されている、 碑は道登が橋をかけたとするが、『続日本紀』は道昭とする。『日本霊異記』、『扶桑略記』[3]、『今昔物語集』は道登が架けたとする。しかし、道昭は大化二年には18歳頃であるから、僧侶になっているか分からない頃である。その後に遣唐使の学僧として唐に留学しているから、大化二年の時期の架橋は考えにくい。『続日本紀』によれば、道昭は入唐求法し、帰国後は元興寺に住んでいた。帰国後は社会事業をしたとされて…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b1%a7%bc%a3%b6... - 2023年03月01日更新

メンバーのみ編集できます