縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

金井沢碑(かないざわひ)は群馬県高崎市にある奈良時代の石碑である。
山ノ上碑多胡碑とともに上野三碑の一つと言われる。

概要

江戸時代の中ごろに出土した。
奈良時代前半の726年(神亀3年)に三家氏を名乗る豪族が、先祖の供養と一族の繁栄を祈って建てた石碑である。三家氏は、佐野三家を管理し、山上碑を建てた豪族の子孫であると考えられる。碑文から、女性が結婚後も実家の氏の名で呼ばれており、子供達と共に実家の祖先祭祀に参加していることが分かる。碑文に現れる「群馬」は、群馬県内では最古の事例となる。金井沢碑から古代東国での仏教の状況、家族関係、行政制度の実態が分かる。
自分から遡り七世の父母、自分の父母のために供養することは仏教の思想である。「家刀自」は一家家を統括する女性の地位であり、主婦である。知識は「仏教の教え」をいう。「鍛師」は製鉄や金属加工に携わる職人である。
大宝元年(701年)に制定された大宝律令によって定められた国郡里制(国、郡、里の地方編成)、および和銅6年(713年)の好字二字令に基づく地名が文中に認められる。

石碑

高さ110センチ、幅70センチ、厚さ65センチ。硬質の輝石安山岩の自然石を使用し、前面の平らな部分に、縦書き9行で112字が刻まれる。台石にはめこまれ、文はその表面に陰刻される。文字は、古い隷書の特徴が見られる楷書である。薬研彫によって刻られる。

大意

神亀3年2月、七世父母、現在の父母等のために天地に誓願して作る旨を記したものである。

碑文

  • 上野国群馬郡下賛郷高田里
  • 三家子□為七世父母現在父母
  • 現在侍家刀自他田君目頬刀自又児加
  • 那刀自孫物部君午足次蹄刀自次乙蹄
  • 刀自合六口又知識所給人三家毛人
  • 次知万呂鍛師礒部君身麻呂合三口
  • 如是知識結而天地誓願仕奉石文
  • 神亀三年丙寅二月二九日

釈読

上野国群馬郡下賛郷高田里に住む三家子□が、祖先および父母の為に、家刀自(主婦)の立場にある他田君目頬刀自、その子の加那刀自、孫の物部君午足、次の刀自、その子の若刀自の合わせて六人、また既に仏の教えで結ばれた人たちの三家毛人、次の知万呂、鍛師の礒部君身麻呂の合わせて三人が、仏の教えによって祈る石文である。

神亀三(726)年丙寅二月二十九日

指定

  • 1921年(大正10年)3月3日 国の史跡指定
  • 1954年(昭和29年)国の特別史跡に指定

アクセス等

  • 名称:金井沢碑
  • 所在地:〒370-1213  群馬県高崎市山名町金井沢2334
  • 交通:根小屋駅から徒歩で10分

参考文献

  1. 鬼頭清明(1991)「上野三碑をめぐって」『古代日本金石文の謎』学生社

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