縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

タグ検索で土器44件見つかりました。

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跡部遺跡

''跡部遺跡''(あとべいせき)は、大阪府八尾市にある弥生時代前期から古墳時代前期、中世までの複合遺跡である。 *概要 跡部遺跡は八尾市北部に位置し、北に長瀬川、南に平野川があり、旧大和川の河川に囲まれた地域である。弥生時代前期から古墳時代前期、古代・中世に至る遺構・遺物が検出されている。遺跡の西部地域は遺構の密度が薄い、遺跡の中心は東部地域である。 八尾市内では1921年(大正10年)、恩地垣内山で流水紋[[銅鐸]]が発見されている。鐸全高44.5cm、鈕高12cm。東京国立博物館にある。近くの都塚山…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c0%d7%c9%f4%b0... - 2023年05月07日更新

高坏形土器

''高坏形土器''(たかつきがたどき)はつきに高い脚をつけた1人用の食器である。 *概要 縄文時代に食べ物や土器などを盛るために使われていたものと考えられている。 盛り付け用の高杯は、本格的な水田稲作が始まる弥生時代になって生まれた器といわれる。 *出土例 -高坏 大阪府柏原市・藤井寺市 船橋遺跡出土 弥生時代(中期)・前2〜前1世紀 -高坏形土器 野殿深作東遺跡出土 -高坏形土器 土地不詳、縄文時代(晩期)・前1000〜前400年 *参考文献 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b9%e2%d4%af%b7... - 2023年05月01日更新

八日市地方遺跡

現する。集落の中心を流れる埋積浅谷からは土器・木製品・玉類など多様な遺物が大量に出土している。集落は緩やかに蛇行する河川の両側に展開し、居住域と墓域とに分かれる。居住域は3重の環濠で囲まれ、その外側に広がる墓域は主として方形周溝墓からなり、30基以上が発見されている。 *調査 1930年(昭和5年)に2個の磨製石斧の出土により発見された遺跡である。1949年に小松高校、1950年に明治大学・石川考古学研究会・小松市教育委員会による調査が行われた。1961年に石川考古学研究会、993年〜2000年、2006…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c8%ac%c6%fc%bb... - 2023年04月28日更新

石船戸遺跡

る。 塊状のアスファルトと加熱に使用した土器、塗布に使用した用具が多量に出土しており、産油地で採取した塊を集落内に持ち込み、熱で溶かしながら利用していた様子が伺える。 土器は精製品と粗製品があり、精製土器は東北地方一円に分布する「亀ヶ岡式土器」と共通した特徴をもつ。 *調査 1966年(昭和41年)から1967年(昭和42年にかけて排水路造成工事の際に発見された。応急的な発掘調査により、大量の土器・石器が発見された。 2012年(平成24年度)から2014年(平成26年度)にかけて本格的な発掘調査を実施し…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c0%d0%c1%a5%b8... - 2023年04月27日更新

鉢形土器

''鉢形土器''(はちがたどき)は口縁部が最大径であり、背が高く口縁部から底部にかけて直線的にすぼんでいく形の土器、あるいは背が低く最大径が器高より大きな土器である。 *概要 底部から口縁部まで直線的に変化する形態であり、壺形土器や甕形土器のように頸部を有国宝・縄文土器では深鉢形土器、または浅鉢形土器という。深鉢形土器は主に煮炊きに利用した土器で、貯蔵などの用途もあった。深鉢形土器は煮炊きや貯蔵などに用いられ、浅鉢形土器は貯蔵や盛り付けなどに用いられた。 弥生時代にはいると甕形土器と壺形土器がその用途に…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c8%ad%b7%c1%c5... - 2023年04月25日更新

天塚古墳

''天塚古墳''(あまづかこふん)は京都府京都市右京区に所在する6世紀前半の[[前方後円墳]]である。 *概要 京都市右京区の平地にある太秦古墳群を構成する貴重な古墳である。2段[[築成]]で[[周濠]]がある。後円部西北に[[陪塚]](円墳)がある。 後円部に構築された[[横穴式石室]]は2基ある。後円部西側に開口する石室は奥壁よりに稲荷が祀られる。墳丘表面で[[円筒埴輪]]が検出されている。秦氏の墓とする説が有力であるが、渡来系氏族である秦氏の本拠地としては、大陸由来の要素がある遺物が少ないとの指摘…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c5%b7%c4%cd%b8... - 2023年04月25日更新

将軍山古墳

''将軍山古墳''(しょうぐんやまこふん)は埼玉県行田市に所在する[[前方後円墳]]である。 *概要 埼玉県下で8番目の規模の前方後円墳である。国内で3例しかない[[馬冑]]が出土したことで知られる。戦前までは将軍塚と呼ばれていた。1894年、下忍村(現・行田市下忍)の増田五左衛門が自宅の庭に石を運ぼうとして発掘した。内裏塚古墳群(千葉県富津市)の稲荷山古墳に形状が類似する。増田五左衛門が庭石に考えた石は、実は金谷で産する房州石であった。 後円部西側前方部寄り、中堤西側に造出あり。周濠はほぼ長方形で2重…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%be%ad%b7%b3%bb... - 2023年04月25日更新

山王塚古墳

''山王塚古墳''(さんのうづかこふん)は、埼玉県川越市に位置する7世紀の[[上円下方墳]]である。 *概要 川越市大東地区、入間川右岸の台地上にある上円下方墳である。上円下方墳は[[古墳時代]]終末期の7世紀後半から8世紀初めに築造された首長墓である。 上円下方墳は珍しく、発掘調査により墳形が確認されたものは全国でも6例だけである。 下方部一辺63メートル、上円部径47メートル、高さ5メートルであり、上円下方墳の中でも最大の規模となる。[[南大塚古墳群]]のひとつである。上円下方墳は関東を中心に分布す…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%b3%b2%a6%c4... - 2023年04月25日更新

椀形土器

''椀形土器''(わんがたどき)は[[鉢形土器]]より小型の形状で、胴部が丸みを帯びているものをいう。 *概要 食器としてつかわれた。 *出土例 -片口碗形土器 - 貫井遺跡出土 -椀形土器 - 鉢ヶ谷遺跡 -椀形土器 - 鉢ヶ谷遺跡(東金市小野字鉢ヶ谷1113ほか) --椀形土器の内面に乳白色の付着物がみられた。付着の状況から土器内面を塗彩したものでなく、粘質の液体状のものを入れていた可能性がある。 *参考文献 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%cf%d0%b7%c1%c5... - 2023年04月25日更新

坏形土器

''坏形土器''(つきがたどき)は[[鉢形土器]]や[[椀形土器]]の器高の低いものをいう。 *概要 坏は古代の飲食物を盛る器であり、碗より浅く皿より深いものである。坏は、上から口縁部、胴、底部からなる。米/穀物以外に魚や貝、汁物などもいれていた、 [[土師器]]と[[須恵器]]とがある。椀形土器と同様の用途で使われる。 蓋として用いたものを「坏蓋」、椀として用いたものを「坏身」という。坏身の 口 縁に坏蓋を受け止めるための「かえり」がつくられる。古墳時代の食器は、坏や鉢のような 手持ち(底持ち)の食器…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%d4%af%b7%c1%c5... - 2023年04月25日更新

甕型土器

''甕形土器''(かめがたどき)は口縁部と頸部・胴部との外形寸法の差が少ない形をした土器で、横から見たときに横方向の最大径が、高さの半分より上側にあるものある。 *概要 弥生時代、古墳時代に見られる土器の形である。甕形土器は縄文時代の深鉢形土器から変化して成立した器種である。火にかけたとき、火のまわりがよくなり、早く熱が伝わる。甕型土器は主に煮炊きに利用したと思われる。土器の外面に煤が付いているものが多く認められる。基本的な器形には壺形土器、甕形土器、鉢形土器、高坏形土器の四種類がある。壺形土器は貯蔵用…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%e1%b1%b7%bf%c5... - 2023年04月22日更新

二子山古墳

''二子山古墳''(ふたごやまこふん)は埼玉県行田市にある古代の[[前方後円墳]]である。 *概要 #ref(https://image02.seesaawiki.jp/a/o/ancienthistory-memo/EErHn15mfL.jpg,150,200,right){二子山古墳の平面図} 埼玉県では最大規模の古墳である。方形の二重周濠をもつ。墳形は稲荷山古墳および鉄砲山古墳と同様大仙陵古墳に類似する。 2つのなだらかな山が連結したような形状が名の由来である。堀に挟まれた中堤は遊歩道となる。 東…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c6%f3%bb%d2%bb... - 2023年04月21日更新

丸墓山古墳

''丸墓山古墳''(まるぼやまこふん)は埼玉県行田市にある古代の[[円墳]]である。 *概要 日本最大規模の円墳である。頂上に登ることができる。周堀は一重である。[[葺石]]は全面ではないが存在する。『新編武蔵風土記稿』(1823)で、「丸墓山古墳」と呼ばれている。その頃、頂上に大日堂があったとされる。 昭和50年頃まで「円墳」は疑問視されていた。 その理由は以下の通り。 -埼玉古墳群に現存する大型古墳は全て[[前方後円墳]]なのに、丸墓山古墳だけ円墳 -築造年は稲荷山古墳、二子山古墳に次いでいる -墳…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b4%dd%ca%e8%bb... - 2023年04月11日更新

井戸尻遺跡

土偶 -藤内遺跡 --半人半蛙文有孔鍔付土器 --蛇頭半人半蛙交差文深鉢 *指定 -昭和41(1966)年  国史跡 *時期 *アクセス -名称:井戸尻遺跡 -所在地:〒399-0211  長野県諏訪郡富士見町境6614 -交 通: 東日本旅客鉄道中央本線「信濃境」駅の南側徒歩15分 *参考文献 +富士見町教育委員会(1994)『井戸尻遺跡』富士見町教育委員会 …

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b0%e6%b8%cd%bf... - 2023年04月08日更新

圧痕

(あっこん, Indentation)は土器などの表面や内部に残る穀物や昆虫の形跡である。 *概要 手や物体に押されて土器などの表面がくぼんだ状態、または土器内に穀物の種子や昆虫などが残存し、その形状が残ることを圧痕という。形成には必ずしも圧力を必要としない。 空洞になった個所を型どりし種子や昆虫の種類を確認できる。 *英国での圧痕穀物 英国では穀物の土器圧痕は20世紀初頭から注目されていた。 Jessen K.and Helveak.H(1844) は圧痕穀物のある土器の時期からイングランドにおける…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b0%b5%ba%af... - 2023年04月08日更新

四日市遺跡

たのはなぜかわかっていない。 *線刻絵画土器 約2000前(弥生時代中期)の土器の破片2点にシカや矢尻が描かれていた。弥生時代にシカは豊作のシンボルだったとされ、角や尾などを写実的に表現している。口の部分に鹿2頭を線刻している。縦横約6cmで、1頭は枝分かれする角に、胴体を斜線で表す。頭は三角で表される。 *遺構 -竪穴建物 150棟 -土坑 *遺物 -線刻絵画土器 -甕 - 小児用甕棺 -筒形器台 – 丹塗り、完全な形で見つかる -高坏 -壺 -土製勾玉 -脚付注口土器 *指定 -平成30年…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%bb%cd%c6%fc%bb... - 2023年04月06日更新

青谷上寺地遺跡

人骨などの遺物が出土した。 *地域交流 土器は北陸・近畿・山陽地方の土器が出土しており、石材は青谷周辺では採れないヒスイやサヌカイトなどが使われている。400点をこえる鉄製品は、中国・朝鮮半島・北部九州の特徴がみられる。古代中国の鏡や「貸泉」が出土する。 *人骨 集落中心域の東側から約5,300点、人数にして100人分以上の人骨が出土した。110点、少なくとも10人分に相当する人骨に殺傷痕があり、何らかの争いの痕跡である。出土した人骨の解析で、32体の人骨のミトコンドリアDNAに29系統のグループがあった…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%c0%c4%c3%ab%be... - 2023年04月02日更新

さきたま史跡の博物館

''埼玉県立さきたま史跡の博物館''(さいたまけんりつさきたましせきのはくぶつかん, Museum of The Sakitama Ancient Burial Mounds)は国指定史跡「埼玉古墳群」及び「菅谷館跡」の保存と整備・活用をはかり、埼玉の考古資料の収集保管・調査研究・展示公開・普及啓発等を行う博物館である。[[風土記の丘公園]]の一角にある。 *概要 展示室は「国宝展示室」、「将軍山古墳展示館」と「企画展示室」の3つである。 国宝展示室の[[稲荷山古墳金錯銘鉄剣]](稲荷山古墳出土鉄剣)…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%a4%b5%a4%ad%a4... - 2023年04月02日更新

''甑''(こしき)は米を蒸すための土器である。 *概要 古墳時代中期に朝鮮半島から伝わり、急速に普及する器種である。 甕に水を入れ、湯を沸かし、甑をその上に乗せ、簾やざる、布などを底に敷き、その上に米などを入れて、お湯から出る蒸気により蒸して調理する。 甑の出土量は甕と比べて少ないことから、米の調理方法は炊く方式から蒸す方式へと完全に移行したと考える研究者は少ないと言われている。甑の形態は時代順に少しずつ変化しており、特に底部に開けられた穴の形状から時代を読み取れる。 *山陰型甑形土器 弥生時代後期前…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%b9%f9... - 2023年03月18日更新

壺型土器

''壺型土器''(つぼがたどき)は壺の形をした土器である。 *概要 口縁部と頸部・胴部との差が大きい形状の土器である。胴部は球形に近い形状となることが多い。…

https://ancienthistory.memo.wiki/d/%d4%e4%b7%bf%c5... - 2023年03月14日更新

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