縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

江田船山古墳大刀銘(えだふなやまこふんたちめい)は江田船山古墳から出土した大刀に刻まれた銘文である。東京国立博物館に保管展示されている。

概要

75文字の銘をもつ銀象嵌銘大刀である。全長90.6センチメートル、5世紀後半に日本で書かれた現存する最古の金石文であり、獲加多支鹵大王は雄略天皇に比定する説が通説となっている。刀は練りを80回、打ちに打った三寸の刀など、治天下、八十練、十振など日本独特の表現がある。埼玉古墳群・稲荷山古墳の獲加多支鹵大王と同じ文字が刻まれる。大王が刀を持つ者の政治力・軍事権を認めたと解釈されている。

発見の経緯

1873年(明治6年)、熊本県玉名郡和水町にある江田船山古墳から横口式家型石棺が検出され刃渡り85.3センチメートルの大刀と銀象嵌の銘文が発見された。大正末期に日本刀の研師により研磨されたが、研磨により失われた文字が生じた。

原文

  • 台(治)天下獲□□□鹵大王世、奉事典曹人名无□(利)弖、
  • 八月中、用大鐵釜、并四尺廷刀、八十練、□(九)十振、
  • 三寸上好□(刊)刀、服此刀者、長寿、子孫洋々、
  • 得□恩也、不失其所統、作刀者名伊太□(和)、
  • 書者張安也

大意

天下を治めていた獲加多支鹵大王の世に、典曹に奉事していた人の名前は无利弖(ムリテ)。八月中、大鉄釜を使って、四尺(1m強)の刀を作った。刀は練りに練り、打ちに打った立派な刀である。この刀を持つ者は、長寿して子孫も繁栄し、さらにその治めている土地や財産は失わない。刀を作った者は伊太和、文字を書いた者は張安である。

治天下

稲荷山鉄剣銘に「佐治天下」と共通しており、倭国が早い段階から独自の中華意識を形成した証拠とされる。しかし、中国では「治天下」は「王」を対象とする語であることは栗原朋信により指摘されている。大刀銘の「治天下」は皇帝の臣下の王の統治を示すものとの意図が垣間見えるため、独自の中華意識との証拠にはならないとの指摘がある。

獲加多支鹵大王

稲荷山鉄剣銘?に刻まれる獲加多支鹵大王と同一とみられる。本作には年紀の記載がないため、雄略天皇の時代とは特定できない、「大王世」という表現は過去の治世を振り返る用語とされる(東野治之(2004),p.103)。大刀銘の製作時点では大王は没していたとみるべきとされる。

指定

昭和40年に国宝に指定された。

参考文献

  1. 東野治之(2004)『日本古代金石文の研究』岩波書店
  2. 栗原朋信(1978)『上代日本対外関係の研究』吉川弘文館

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