縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

江田船山古墳(えたふなやまこふん)は熊本県玉名郡に所在する前方後円墳である。

概要

標高約30mの清原台地に立地する清原古墳群の中心的な前方後円墳である。92件の出土品は、そのすべてが国宝となっている。清原台地には虚空蔵古墳・塚坊主古墳・京塚古墳が築造されている。石人や石製品も発見されている。銀象嵌銘大刀は刀身の平地に片面に花と馬、片面に魚と鳥が銀象嵌で表される豪華なものである。

調査

1873年(明治6年)に地元(江田村)の池田佐十が、夢のお告げにより丘を掘ったところ後円部に組合式家形の石棺を発掘した。国がそれらを一括して買い上げ、出土品92点は昭和40年に国宝に指定された。現在、東京国立博物館に展示保管されている。
1985年(昭和60年)に熊本県教育委員会は周溝の調査を実施し、トレンチ調査で葺石が確認され、葺石が施されていたことが判明した。

出土

朝鮮半島から輸入されたと考えられる遺物が多く、埋葬された人物は朝鮮半島と密接なつながりがあったことが分かる。 埋葬施設は、後円部のほぼ中央に阿蘇凝灰岩の切石を組み合わせた横口式家形石棺(長さ2.2m、幅1.1m、高さ1.45m)で、入口の両側に2枚の切石を並べ羨道となっている。石棺内部や縄掛突起の一部などに朱色の塗料が残っており、築造時には石棺全体を朱色に塗っていたことが分かる。
  • 甲冑などの武器・武具類
  • 金銅製冠帽
  • 金製の耳飾
2種類ある。ハート型の耳飾は、同型の耳飾りが百済の武寧王の墓から出土している。チェーンの耳飾は、朝鮮半島の大伽耶で似た品が出土する。この2つの耳飾りは、熊本の豪族が百済や大伽耶と直接交流があったことを示している。耳飾りは5世紀後半から6世紀初めに作られたものである。
  • 玉などの装身具
  • 銅鏡 6面
  • 馬具
  • 陶質土器

規模

  • 墳丘62m、
  • 後円部直径41m、
  • 後円部高さ10m、
  • 前方部幅40m、
  • 前方部高さ7.5m

指定

  • 昭和26年6月 史跡指定
  • 追加指定:昭和 51 年 6 月 26 日、昭和 60 年 1 月 16 日

所在地等

  • 名称: 江田船山古墳
  • 年代: 5世紀後半から6世紀初頭
  • 被葬者: 典曹人 无利弖
  • 所在地:〒865-0136  熊本県玉名郡和水町江田
  • 交通: JR鹿児島本線玉名駅、または九州新幹線新玉名駅からバス「菊水ロマン館前」徒歩5分。

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. 熊本県教育委員会(1986)「江田船山古墳」熊本県教育委員会

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