縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

良弁(りょうべん、ろうべん,689年―773年)は奈良時代の華厳宗の僧である。華厳宗の開祖とされる。

概要

百済系渡来人の子孫とされる。近江または相模の人とされる。『大山縁起』(真名本)では相模国の染屋太郎大夫時忠の子とされる。「染屋」は「漆部」とも伝わる。別伝で近江百済氏の出身で幼時に鷲にさらわれ、義淵僧正に育てられたとされる。『国史大辞典』には良弁の出自について、近江説と相模説があるが近江が有力、と記載される。
義淵に法相を、新羅僧審祥(しんじょう)に華厳を学び、金鐘寺を建立した。東大寺建立に尽力し、天平勝宝3(751)年5月1日に初代の東大寺別当に任ぜられた。天平宝字7年(763年)に僧正位に昇り、宝亀4年(773年)閏11月16日に遷化した。

鎌倉の長谷にある「染屋太郎大夫時忠邸址碑」によれば、染屋太郎大夫時忠の子とされる。「藤原鎌足の玄孫」は単なる伝説であろう。
  • (碑文) 染屋太郎大夫時忠は藤原鎌足の玄孫(やしゃご)に当り 南都東大寺良弁僧正の父にして 文武天皇の御宇(697‐707)より 聖武天皇の神亀年中(724‐728)に至る間 鎌倉に居住し 東八箇国の総追捕使(そうついぶ)しとなり 東夷を鎮め 一に由比長者の称ありと伝へられれも 其事蹟詳(つまびらか)ならず 此処の南方に長者久保の遺名あるは 彼の邸址と唱へらる 尚甘縄神明宮の別当甘縄院は時忠の開基なりしと云ふ(昭和十四年(1939)三月建 鎌倉町青年団)

東大寺開山堂

没して246年後の寛仁3年(1019年)に東大寺開山堂が創建され、『良弁僧正座像』(国宝)も同時に造立されたと考えられている。

参考文献

  1. 太田亮(1942)『姓氏家系大辞典』磯部甲陽堂
  2. 相原精次(1988)『鎌倉史の謎』彩流社

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

フリーエリア

よろしければランキング投票してください
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

フリーエリア

PVアクセスランキング にほんブログ村

メンバーのみ編集できます