縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

伊勢神宮(いせじんぐう,IIse Jingu)は三重県伊勢市にある神社である。正式名称は「神宮」であり、地名を含む「伊勢神宮」は通称である。
伊勢神宮

概要

内宮と外宮を含む、125の宮社を含めて「神宮」と総称する。伊勢神宮が所有する森林を含めると、面積は約5,500ヘクタールとなる。神宮の森は東京の世田谷区とほぼ同じ面積である。日本に約8万社ある神社の総本社である。日別朝夕大御饌祭は約1500年間、毎日行われている。

規模

もとは大規模な宮ではなく、「神籬」や「祠」と呼ばれる小規模な社であった。天武天皇の発意により、690年?(持統4年)に内宮、692年(持統6年)に外宮で初めて行われた遷宮から、大規模になったとされる。

式年遷宮

20年ごとに、内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の2つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替える。第62回式年遷宮は2013年であった。掘立柱えあるため、風雨に晒されやすく、礎石上の柱と比べると老朽化が早く、耐用年数が短いためである。

平安時代の中期以降、朝廷が衰微し律令制度の崩壊が進むと神宮の御師は、荘園の一部である御厨・御園を確保して、遷宮経費をまかなった。「太神宮役夫工米の制」が制定され、全国にわたって定率の税を命じた。室町時代に至るまで約20回の遷宮経費をまかなった。室町時代後期に入ると、役夫工米による遷宮費の徴収が難しくなり、120年間遷宮は中断された。安土・桃山時代には遷宮上人と呼ばれる慶光院清順・周養の勧進により織田信長・豊臣秀吉が遷宮費用を献納し、遷宮が復興された。

天皇の参拝

持統天皇は伊勢神宮に参拝したが、その後は明治まで途絶えていた。現役天皇が参拝したのは、1869年(明治2年)の明治天皇(122代)が最初である。人々は道の両側に荒菰を敷き、その上で平伏して奉迎したとされる。天皇は玉串を奉り、王政復古の奉告と国運の発展を皇祖とされる天照大御神に祈願した。聖武天皇(45代)は、740年(天平12年)11月に、伊勢へ行幸したが、神宮参拝は確認されていない。2019年11月23日、天皇、皇后は「即位の礼」と、一世一度の重要祭祀「大嘗祭を終えたことを伊勢神宮に報告した(参考文献1)。「親謁の儀」は伊勢神宮のあと、神武天皇陵、孝明天皇陵、明治天皇陵)、昭和天皇陵、大正天皇陵の順に行われる。

アクセス等

  • 祭神:天照大御神(内宮),豊受大御神(下宮)
  • 所在地:
    • 皇大神宮(内宮)三重県伊勢市宇治館町1
    • 豊受大神宮(外宮)三重県伊勢市豊川町279
  • 交通:JR・近鉄伊勢市駅から外宮まで徒歩約7分 外宮から内宮は路線バス(三重交通)で約20分(外宮前→内宮前)

参考文献

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