縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

総社愛宕山古墳(まえばしあたごやまこふん)は群馬県前橋市に所在する7世紀前半の方墳である。「愛宕山古墳」、「総社町10号古墳」とも呼ばれるが、同名の古墳は多数あるため、地名で区別している。

概要

榛名山から東南方向に広がる裾野の末端に位置し、現利根川の西岸南北4kmに位置する。
周濠がある。石室は墳丘の南側に開口する。家形石棺が置かれる。墳丘に埴輪は立てられていなかった。周堀は約18m、葺石あり、埴輪列なし。
7世紀初頭を最後にして、前方後円墳の築造は全国で停止された。7世紀の群馬県では前橋愛宕山古墳と宝塔山古墳?などの大型方墳が作られた。

調査

昭和27.7.3から昭和27.7.4調査。平成7.9.1から平成7.12.22 学校建設による調査。令和3年度に調査した。葺石は大きな河原石を並べている、3段築成?と判明した。墳丘部は未調査。

規模

  • 1辺約56m 方墳
  • 高さ約8.5m

遺構

埋葬施設は南東方向に開口する両袖型の横穴式石室。安山岩の巨石を用いて構築される。
  • 全長約9.3m、
  • 玄室部長6.91m
  • 幅2.94m
  • 高さ2.91m

遺物 

副葬品等は見つかっていない。土師器、須恵器、縄文土器、石斧、瓦が出土。

築造時期

7世紀前半

被葬者

5世紀後半から7世紀後半にかけて当地を治めた豪族。
「上毛上野古墓記」(1810年)によれば、愛宕山古墳を豊城入彦命、宝塔山古墳を彦狭島王、蛇穴山古墳を御諸別命とし、総社二子山古墳を豊城入彦命の副葬品を納めたものとしていた

指定

指定されていない理由は、石室の入り口付近に一般人の墓があり、この墓の家の方は遠方に引っ越したが、連絡がつかず、移動してもらうことも、また勝手に移動することもできないため、整備、史跡指定ができない。

アクセス等

  • 名称:総社愛宕山古墳
  • 所在地:群馬県前橋市総社町総社1763
  • 交通: 群馬総社駅から徒歩で10分

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
  3. 群馬県教育委員会(2018)『群馬県古墳総覧』群馬県教育委員会; 第2版

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

フリーエリア

よろしければランキング投票してください
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

フリーエリア

PVアクセスランキング にほんブログ村

メンバーのみ編集できます