縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

那珂通世(なかみちよ、1851年 - 1908年3月2日)は日本の明治時代の歴史学者である。東洋史学の命名者である。

概要

外国史をそれまでの「支那学」と「万国史」から、「東洋史」と「西洋史」の二つに分けることを主張し、認められた。白鳥庫吉は中学教師時代の教え子である。

経歴

  • 1851年、盛岡藩士の藤村政徳、弁子の3男として藤村家に生まれる。
  • 1859年、漢学者の江帾通高(梧楼)の養子となる。 養父が「那珂」と改姓したため「那珂通世」を名乗った。
  • 1872年、慶應義塾別科に入学。
  • 1874年、福沢の推薦で当時創設された千葉中学校長となる。東京女学校兼女子師範学校長となり、自ら数学,物理,化学,歴史地理の教科書を編纂する。
  • 1876年、「日本古代文字考」を『洋々社談』に発表する。
  • 1886年、学制の大改革を機に職を辞する。
  • 1888年-1890年、『支那通史』刊行。
  • 1897年、「上世年紀考」(『史学雑誌』)を発表。神功紀の120年ズレを
  • 1900年、第一高等学校や東京高等師範学校の教授となる。
  • 1901年、文学博士の学位を得る。
  • 1905年から1906年まで清国・満州・韓国を視察。
  • 1907年、那珂通世訳注『元朝秘史』(成吉思汗実録、大日本図書)を翻訳する。
  • 1908年、心臓発作のため死去
  • 1948年、三品彰英 増補の『増補 上世年紀考』刊行。

参考文献

  1. 窪寺紘一(2009)『東洋学事始−那珂通世とその時代』平凡社

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

フリーエリア

よろしければランキング投票してください
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

フリーエリア

PVアクセスランキング にほんブログ村

メンバーのみ編集できます