隅田八幡鏡(すだはちまんきょう)は和歌山県の隅田八幡神社が所蔵する古代の銅鏡である。「隅田八幡神社人物画像鏡」ともいう。
- (原文)癸未年八月日十大王与(年)男弟王、在意柴沙加宮時、斯麻念長寿(奉)、遣開中費直・穢人今州利二人等、取白上同二百旱、作此竟
- (大意)
癸未年は鏡を製作した年とみられる。443年説と503年説とがある。どちらも倭の五王時代となる。考古学的年代観から503年説が有力とみられる。
- 443年は古墳時代中期で、宋から「安東将軍倭国王」を正式に任命された年となる。倭王は「済」である。
- 503年は倭王武が「征東大将軍」の称号を得た翌年である。
日本書紀が引くの百済本紀中に登場する「加不至費直(河内直)」と同一人物との見解がある。「開中」は、(1) カフチ説、(2) 「開中」は百済地名で、『日本書紀』の「辟中」などであろうとする説がある。費直はもともと百済で使用されていた呼称であり、郡の長で王に仕えるリーダーであったとされる。
斯麻は武寧王陵の発掘の墓誌銘に「寧東大将軍百済斯麻王、年六十二歳、癸兎年五月丙戊朔七日壬辰崩」と書かれている。癸兎年は523年である。『日本書紀』武烈四年、この年に嶋王が即位し、武寧王といったとの記事がある。百済新撰にも武寧王を斯麻王というと書かれる。したがって斯麻はは武寧王と考えても矛盾はない。開中費直と今州利は武寧王が派遣した人物とみることができる。
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