縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

古田武彦(ふるたたけひこ、1928年7月17日 - 2013年8月6日)は日本の考古代史家、元昭和薬科大学教授である。専門は中世思想史。

概要

1926年(大正15)年、福島県生まれ。1945年、東北帝国大学(現東北大学)法文学部入学。大学卒業後は高校の教員として、長野県松本市や神戸市、京都市の高校で国語、社会を教えた。1984年〜1996年、昭和薬科大学教授。

経歴

  • 1926年 福島県喜多方市に生まれる。
  • 1948年3月、東北帝国大学(現東北大学)法文学部日本思想史学科卒業。
  • 1948年4月、長野県松本深志高等学校教諭。
  • 1980年、龍谷大学講師
  • 1984年(昭和59年)4月、昭和薬科大学教授。
  • 1996年(平成8年)3月、昭和薬科大学を定年退職。
  • 2015年10月14日、死去。享年89。

邪馬壱国の主張

魏志倭人伝の写本を絶対視し、その文字を勝手に文字を変得てしまうことは間違いであると主張した。「邪馬台国」の「台」は「臺」ではなく「壹」であるから「邪馬壱国」であるという主張を「邪馬台国はなかった」(古田武彦(1977))とセンセーショナルに主張し、素人受けした。しかし文献考証の基本である「原典批判」を全く無視した議論は問題が多い。「魏志倭人伝」の古いものに12世紀の宋代に作成された版本「紹熙本」があるが、慶応義塾大学の尾崎康教授による文献考証によれば間違いが非常に多く、呉の宰相の「歩隲」を「歩隙」としたり、「司馬文王」を「司鳶文王」と記載ミスをするなどがある。よって「臺」を「壹」と間違えても不思議でないとされている。「紹熙本」以前の古い書である魏書から引用した思われる歴史書には、すべて「臺」であることから「邪馬壹国」は誤りとするのが定説である。古田氏は具体的な根拠を上げず、「紹熙本」を絶対視するところは問題がある。

第三者評価

Yahoo掲示板2013年6月6日に「古代史研究家の古田武彦さんは信用ある研究家なんでしょうか」という質問に対して以下の回答があった。
  • (回答)学界では全く相手にされてません。
  • 日本史学界は極めて開放的な場で、学歴が無かったり閥に入ってなくても相手にしてもらえますが、
  • 史料的根拠無しにコジツケで論文を書いたら無視されます。
  • ですから、彼はマトモな研究者とは見なされていません。
  • しかし、トンデモにはトンデモなりに熱烈な支持者はいますから、彼と彼の信者は学界とは別に行動しています。
  • 彼と彼の信者が書いた「論文」は、歴史屋から見たら「お笑いネタ帳」ですが、
  • 素人が読む分には面白いと思い(ます)。
Yahoo掲示板の別の質問回答2019年11月20日「古田武彦さんの著書が学者に評判が悪いのは何故ですか」に対して以下の回答があった。
  • (回答)江戸時代から邪馬壹国を邪馬台国に改竄して使っている事を、正面から否定したから
  • 単里、長里の論争不要は、他の学者も分かりそうな指摘
  • (別回答)古田説は「AだからBである。BだからCである。CだからXである。よってXである」という論証が演繹的で「全てが繋がっている」のが納得しやすい、というのだ。これは構造としてはキレイだけれど、仮にAが否定されると、その後の全てが否定されることになる。(@woody_susumu)
Yahoo掲示板の別の質問回答に2021年7月8日の質問に「日古代史家 故古田武彦氏の現在の評価を教えてください。」に対して、以下の回答あり。
  • 卑弥呼比定地、後年の九州王朝説が、古田氏自身が非難する近畿説と同じ手法で導き出されている。
  • 九州王朝説は3世紀の王の国程度で小説レベル。王権レベルの遺跡は皆無。
  • 世紀の距離を積算して辻褄合わせに終始してる。漢時代の星基準の測距儀使用した前提なら長距離程正確になる。一切検討されていない。
Yahoo掲示板の2021年4月15日の質問「古田武彦さんの著作はなぜ学会から無視されているのですか。なぜトンデモ扱いされるのですか。」に対して、以下の回答あり。
  • (回答:cel*****さん)トンデモの典型的特徴を幾つか備えている。・・・トンデモ説の特徴とは、史料の『ユニーク』な解釈で自分の中でそれっぽい理屈を積み上げる、当然その「論理」の中に限れば一応辻褄はあっているが、個々のパーツを見ると、「いやぁ、それはそういう意味じゃないでしょう…」みたいなものがボロボロあり、全体の結果も「え〜っ、そこまで言っちゃうの?」みたいなものになる、にもかかわらず結論がやたら断定的で、それが他の学者に受け容れられないと、そもそも「学者の目が歪んでいるのだ」、あるいは「自己の立場を守る為に、都合の悪い主張は無視しているのだ」みたいな主張をする、そういうものがあります。
Yahoo掲示板2021年2月12日の質問「古田武彦の古代史観、いわゆる古田史学(九州王朝説)の問題点を教えてください。」に対して、以下の回答あり。
  • (回答:ail****さん)相当する遺跡が九州王朝と呼ぶ規模ではない事。奈良連合政権に属さない地方豪族に分類される。

これが学会や研究者の一般的な評価であろう。古田氏に熱心な支持者がいるという意味では、「古田邪馬台国教」の宗教指導者といえるかもしれない。研究者ではなく、素人が読むには著作を面白く読めるし、分かりやすいのでそのまま信じてしまう。

安本美典との関係

ある識者の評価は以下の通りである。
  • (安本美典は)当初は古田武彦の方法論に好意的だったが、後に最も苛烈な批判者となった安本美典?は、一見、論理的な古田説は細部にごまかしがあり「理系的」なのは外見だけにすぎず、その本質は詭弁的なものだと主張していた。二人の論争は、日本古代史学の歴史に残る激しいものだった。(@woody_susumu)
  • 『「邪馬壹国」はなかった 古田武彦説の崩壊』安本美典は三国志の古写本に基づき「邪馬壹国」説を主張し一大旋風を巻き起こした古田武彦の説への徹底批判の書とされる。古田・安本論争の出発点となった。

著書

  1. 古田武彦(1977)『邪馬壹国の論理―古代に真実を求めて』朝日新聞社
  2. 古田武彦(1977)『「邪馬台国」はなかった』KADOKAWA
  3. 古田武彦(1979)『失われた九州王朝』角川書店
  4. 古田武彦(1984)『古代は輝いていた 1 『風土記』にいた卑弥呼』朝日新聞社出版局
  5. 古田武彦(1985)『古代の霧の中から―出雲王朝から九州王朝へ』徳間書店
  6. 古田武彦(1988)『法隆寺の中の九州王朝』朝日新聞社
  7. 古田武彦(1992)『よみがえる卑弥呼』朝日新聞
  8. 古田武彦(1998)『失われた日本―「古代史」以来の封印を解く』原書房
  9. 古田武彦(1998)『古代史の未来』明石書店
  10. 古田武彦(2002)『姥捨て伝説」はなかった』新風書房
  11. 古田武彦(2003)『まぼろしの祝詞誕生―古代史の実像を追う』新泉社
  12. 古田武彦(2003)『関東に大王あり―稲荷山鉄剣の密室』新泉社
  13. 古田武彦(2008)『奪われた国歌「君が代」』情報センター出版局
  14. 古田武彦(2011)『俾弥呼: 鬼道に事へ、見る有る者少なし』ミネルヴァ書房
  15. 古田武彦(2012)『わたしひとりの親鸞』明石書店

参考文献

  1. 安本美典(1980)『「邪馬壱国」はなかった―古田武彦説の崩壊』新人物往来社

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