縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

上石津ミサンザイ古墳(かみいしづみさんざいこふん)は、大阪府堺市西区に位置するり百舌鳥古墳群?の南部に位置する前方後円墳である。「石津ヶ丘古墳」、「百舌鳥陵山古墳」「百舌鳥陵山古墳」とも呼ばれる。宮内庁は第17代履中天皇?陵(履中天皇 百舌鳥耳原南陵)に治定しているが、実際の被葬者は不明である。

概要

日本で3番目に大きい巨大な前方後円墳である。墳丘長365m(後円部直径205m・高さ27.6m、前方部幅235m・高さ25.3m)である。西側のくびれ部に造出しが築かれる。四周に濠、周庭帯をめぐらせ、墳丘に葺石、埴輪が存在する。周濠は現在は一重であるが、幅10mほどの二重目の濠があったことが確認されている。前方部を南に向ける。
築造は5世紀前半(5世紀中頃説あり)である。

調査

発掘調査は未。江戸時代の記録では、後円部中央に大きなくぼみがあったといわれていることから、すでに盗掘されている可能性がある。1994年(平成6年)に、外側に幅10メートル程の2重目の周濠が見つかった。

陪塚

七観山古墳は出土資料などから、仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られたと判明している。陪塚は10基以上あったと判明するが、現在は寺山南山古墳、七観音古墳など3基が残る。

遺構

主体部の構造や副葬品などはわかっていない。葺石と埴輪がある。

遺物

規模等

  • 形式:前方後円墳
  • 被葬者: 未定
  • 築造時期: 古墳時代(5世紀中頃)
  • 全長:360m
  • 後円部直径:205m
  • 後円部高さ:約18.6m
  • 前方部幅:約237m
  • 前方部高さ:約15.3m

指定

アクセス

見学は南側の拝所のほか、東側の濠沿いの周遊路や北側の展望スポット、大仙公園平成の森の展望台など。
  • 名称:上石津ミサンザイ古墳
  • 所在地: 大阪府堺市西区石津ヶ丘
  • 交 通: JR上野芝駅→履中天皇陵古墳拝所まで徒歩5分

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
    1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社

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