縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

多治比池守(たじひ の いけもり, ?―730年)は奈良時代貴族?である。
官位は従二位・大納言。「丹比池守」とも書く。左大臣・父は多治比嶋?(その長男)、母は紀大人娘。

概要

持統7年(693年) 6月4日に直広肆(従五位下)に任官。和銅元年(708年)2月、従四位下・民部卿〔『続日本紀?』和銅元年3月13日条〕。9月30日、阿倍宿奈麻呂とともに造平城京司長官となり、平城宮の造営,平城京の整備に従事する。和銅3年(710年) 4月23日、平城京への遷都後に右京大夫となる。
霊亀1年(715年)、5月22日、従四位下・多治比池守は造宮卿となる。造大宰帥に就任する。706 年から平城京造営の「百姓身役」とともに大宰府再整備の「筑紫の役」が始まっていた。池守の赴任後に、大宰府の整備が完了したとみられ、彼は養老元年(717)に善行を褒賞され、節刀をたまう。養老7年(723年)1月10日にに正三位となり、左大臣・長屋王に次ぐ地位となる。725年、霊寿杖と絁・綿一を賜う。
長屋王の変(729年)のときは、大納言従二位多治比真人池守ちいして、長屋王の罪を問うた。藤原氏寄りの立場とみられる。
天平2年(730年)9月8日死去。薨去(従二位大納言)。

参考文献

  • 太田亮(1942)『姓氏家系大辞典』磯部甲陽堂

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