縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、平安時代など日本古代史の出来事と検討課題の考察を行う。考古学の成果も取り入れ、事実に基づき、合理的な歴史の再構築を図る。

奈良市(ならし,Nara City)は奈良県の県庁所在地である。日本政府は奈良市を中核市に指定している。

概要

奈良市は奈良盆地の北端にあり、古代に平城山(ならやま)と呼ばれた丘陵地帯であったという。しかし、平城京?跡に弥生時代前期(約2400年前)の水田跡が見つかり、奈良市付近に集落があったと想定できる。古墳時代には佐紀盾列古墳群?が奈良市の北側に存在していた。藤原京?から平城京?への遷都は文武天皇在世中の707年(慶雲4年)あたりから審議され、710年(和銅3年)に平城京に遷都された。これが奈良市の場所となる。江戸時代の奈良市は江戸幕府の直轄地(天領)となり、徳川家の直接支配地とになった。
明治期の「奈良町」をへて、1898年(明治31年)2月1日 添上郡奈良町から奈良市となった。その後は添上郡佐保村、生駒郡都跡村、添上郡大安寺村・東市村・生駒郡平城村などを編入し、現在は面積276.94km2、人口352,818人と奈良県内の最大の都市となっている(人口2番目は橿原市)。

都市名

古くは、今の奈良市域を「添(そほり)」と称していた。百済の王都泗沘は「所夫里」(そふり:一名であるが、)と呼ばれたので、類似した名称といえる。何らかの関連があると思われる。日本では「そふり」から、いつ頃「なら」に代わったかは現時点で不明である。
ハングルの「なら(나라)」は「国」という意味である。「奈良市」の語源は「均(なら)した地形」という説明がよくされるが、「なら(나라)」が語源と考えると、より納得しやすいように思える。断定するためには、「なら(나라)」の音が古代朝鮮(百済や新羅)にもあったことの証明が必要となる。

そほり(添)とは

日本書紀では邇邇芸命(ににぎのみこと)の降臨地を(書紀の一書第六に)「添山(ソホリノヤマ)峰」とする。
神話ではあるが、降臨地は宮崎と大分県境の添山(祖母山)とされている。祖母傾山系一帯を高千穂とよんでいある。その中でも最も高い添山(祖母山)が神話の降臨地とする説もある。
<参考>
 (原文)
日本書紀第九段一書(六) 于時、降到之處者、呼曰日向襲之高千穗添山峯矣。及其遊行之時也、云々。
 (大意)
瓊瓊杵根尊が天降りした所を日向の襲の高千穂の添山峯(ソホリノヤマノタケ)と言う。

新羅のそほり

新羅の神話においては「神童君臨」の場所を「徐伐」(Sio-por)というのが語源とする説がある。新羅の王都を意味する「ソフル」が神霊の来臨する聖処を原義とするとし、「曾富理」(ソフリ)が京城の意で、この神を京城・帝都の守護神とする説がある。「添(そほり)」と音が似ているところは関連性が考えられる。

参考文献

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